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吉倉廣の微生物学講義

序 文

 東京大学で行った講義(http://jsv.umin.jp/microbiology/index.htm)を以前公表したが、ここに示すのは、その後順天堂大学等で行った講義の原稿である。

 

 2022年7月現在、2020年に始まった新型コロナ(SARS-CoV-2)の流行COVID-19は、人類が経験した多くの感染症とは異質な側面を持つので、ここにその疫学的な考察を以て序文とする。

 

1.新型コロナウイルスの流行曲線

 新型コロナウイルス流行は2019年年末に中国武漢で始まり、世界に拡がった。症状は重症肺炎である(注1)。

序文
図1:日本47都道府県の毎日の患者数、死者数、死者数_患者数 .png

図1は、日本47都道府県の毎日の新規患者数(P)、新規死者数(D)、新規死者数割る新規患者数(D/P)を2020年1月16日から2022年7月29日迄追跡したものである。
全体的に波状をなしており、2022年夏現在迄7つ位の流行の波があった。患者数の波は日を追って高くなる一方、死者数の波の高さは余り変わらない、結果として波毎に死者数/患者数は次第に下がり2022年7月には0.001~0.0001位になっている。これは、一波、一波、致死率の低いウイルスが次の流行の波の主役になって行く事を示唆する。ウイルスがより弱毒であれば感染した患者の行動範囲は拡がり結果としてウイルスはより拡がる。

図2:フランスとスペインの毎日の患者数、死者数、死者数_患者数.png

図2はフランスとスペインの新型コロナの流行について同様なプロットをしたものであるが、流行曲線は国の間で同期しており、死者数/患者数は、フランス、スペイン共に、2022年7月末には0.0001辺りに下がっている。ここには示さないが、流行曲線は、広く西ヨーロッパ、東ヨーロッパ夫々の国の間で同期している。

2.    新型コロナウイルス流行曲線の特徴
新型コロナウイルスの流行曲線の特徴は、
-    連続する流行の波からなること、
-    日本の場合県の間で、世界の場合近傍の国々の間で、流行の山が同期していること
である。何故こうなるのだろうか?新型インフルエンザの場合、北から渡り鳥がウイルスを伴ってやって来てウイルスが人に感染し、その年に流行を起こし終息する。新型コロナウイルスは、これとは違い、同じウイルスが延々と流行を続ける。

3.何故流行の波は同期(synchronize)するのか
一つの流行の波の中で次の変異株が出現し、これが次の流行の波を作るのが新型コロナの特徴である。変異株の出現は確率的であるから、これでは、異なった場所の流行が長期にわたり同期する事は期待できない。しかし、図1-2の示す様に、新型コロナウイルスの流行は、県の間で、近くの国の間で、示し合わせた様に流行が同期している。そこで考慮しなければならないのは、コロナウイルスはQuasi-species(和訳は「準種」)として流行する事である。
Quasi-speciesとは、複数の変異株が、恰も一つの種であるかのように振る舞う事を云う。一人の患者から30位の変異種が検出され、その中に大勢を占めるウイルス株が一つあり、それを以て、例えば、オミクロンの流行、と云う様な言い方をする。
以下に述べる様に、このquasi-speciesであることがコロナウイルス流行の同期性に関係すると思われる。

図3;Quasi-species の一波一波毎の変化の模式図.png

図3にquasi-speciesの流行を模式的に示してある。図では左端から右端に流行が進む。最初赤く標識されているウイルスが増殖するが、このウイルスに対する宿主の免疫反応でこのウイルスの増殖は抑えられる。そうすると、その免疫反応を逃れた青く標識された変異ウイルスが次の流行の波を作る、しかし、その次の波では青く標識されたウイルスは免疫反応で潰され、黄色で標識された変異株が優位に立つ。詰まり、コロナウイルスの流行は常に次の流行の主役をなす変異株を伴いながら流行の波を作って行く。そうすると、別の場所で、同じquasi-speciesが流行を開始すれば、県の間、或いは近隣国間でも流行曲線が同調するという事になる。例えば、ウクライナはポーランド、セルビア等と同期しロシアはベラルスと同期している。流行の進行と共に波が大きくなるのは、感染しても患者がより動き回れる弱毒変異株が優勢になるからである。
このモデルの特徴は、ウイルス株の変遷は、ランダムな変異→選択→変異→選択の繰り返しではなく、寧ろ30位の変異株の備蓄の中から取り換え引き換え、一番増え易い変異ウイルスが主流になることである。即ち、変異株出現の順位はquasi-speciesを形成する変異ウイルス集団そのものに刻印されていると云う事になる。そうすると、同じquasi-speciesを共有する国の間では流行が同期し得る。

4.コロナウイルスワクチン
日本のコロナウイルスワクチンの2回接種率が人口の50%を超えたのは2021年9月頃(図1に↑印)であるが、ワクチン接種後も患者数は増え続けた。一方患者当たり死者数は、ワクチン接種が始まる1年以上前の流行当初から一波一波毎に低下した(図1-2参照)。
コロナのワクチンは、感染予防はしないが重症化を抑えるという考え方が現在主流であるが、死者数/患者数の低下は、流行開始後半年、ワクチン接種開始1年近く前に始まっていたので(図1最下段、死者数/患者数、を参照)、これをワクチンの効果だとする事には無理がある。むしろ、流行を経て弱毒株が優先的に増えたと考える方が自然である(弱毒株感染者はより活動的であり、よりウイルスを拡散させる)。

5.新型コロナウイルスの起源
SARS コロナウイルスの流行は2019年が最初ではない。2003年3月12日から7月5日まで西太平洋地区で起こった流行では、症例9,096対し死者774、患者数当たり死者数は10人に1人であった。
これに比較すると、COVID-19は、患者数対死者数は100人に1人程度で、人流が止まらない程度に「適度な病原性を持ったウイルス」であった。その結果、COVID-19は世界中に拡がり、2022年夏現在、未だその勢いは衰えない。
今回のコロナウイルスの起源についてはAlina Chan, Matt Ridley: Viral Search for the Origin of Covid-19, 4th Estate London2021を参照すると良い。

6.コロナウイルスの重症度を決める要因は何か
上気道感染は鼻かぜで済むが下部気道感染は肺炎になる。肺内温度は37度、鼻腔温度は30+2度であるので、流行初期の強毒ウイルスの増殖至適温度は高く、流行後期の弱毒ウイルスの増殖至適温度は低かった事が考えられる。

注1:国立感染症研究所「病原微生物検出情報(IASR)はCOVID-19を次の様に記載している:新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の原因ウイルスである重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)は, コロナウイルス科ベータコロナウイルス属に分類され, 約30,000塩基からなる1本鎖・プラス鎖RNAゲノムを持つ。受容体(アンジオテンシン変換酵素Ⅱ:ACE2)を使ってヒトの細胞に吸着・侵入する。エンベロープを持ち, アルコール, 界面活性剤等により不活化される(IASR Vol. 42 p135-136: 2021年7月号)

I 微生物の考え方

I 微生物の考え方

はじめに

1.      微生物に関する話をする事になっています。私は大学を辞める迄は30数年ネズミの白血病ウイルスの事ばかりやっておりました。このウイルスは後に出て来るレトロウイルスの仲間ですが、私が研究を始めた頃はこの名前の由来のRNA依存DNA合成酵素、所謂、逆転写酵素も見つかっていない頃でした。逆転写酵素の発見迄の歴史は大変面白いのですが、この一連の講義では余り触れない事にします。

2.      東京大学の医学部に移り、17年間講義や実習をし、大学を辞めてからは、感染症研究所、国際医療センター研究所で行政に近い仕事をする傍ら、政府委員や、FAO、WHO、OECDの仕事をしました。行政に近い仕事をしてみますと、一般市民或は行政担当者と研究者との間の科学というものへの理解のギャップを痛感しました。そのような事から、東京大学時代の講義用プリントに、その後考えた事を加え、微生物学講義録としてウイルス学会のホームページに出しました。改定しましたが、中々間違いの無いものにするのに苦労しています。今回の講義で、微生物の種々の問題について全部触れられない部分もありますので、適宜、そちらを参照しながら話をしようと思います。

3.      この講座の話が出た時には、対話を中心とした一般向けのものと云う話でしたが、年齢も背景も違う色々な方々がおられる訳で頭を悩ませましたが、試みに聞いておられる方々の基礎知識は無視しまして、時間の半分を使って現在私として一番面白いと思う事を話す事としました。残りの半分は、代わりに、講義内容に関係のありそうな事でしたら何でも聞いて頂く事にしました。意外に上手く行きましたので、今回もそのように致します。講義もそう面倒な内容ではありませんので、スライドは使わず板書でやります。

4.       さて、私が生まれたのは1938年で、戦争前です。樺太で生まれましたが、戦争が始まる頃は広島におりました。原爆の落ちる直ぐ前樺太に戻り、敗戦で引き上げて来た訳です。当時は、疫痢で、どこの誰ちゃんが亡くなったとか、珍しくありませんでした。何かあると、ばい菌で病気になる、と母親に言われた記憶があります。自分の周りがばい菌だらけだ、と言う理解をしていた訳です。

5.       終戦を迎え、経済発展が進み、感染症はどんどん減りました。第二次大戦の終わり近く実用可能となったペニシリンは人々を感染症から救いました。ペニシリンが主題になった映画「第三の男」を見られた方もいると思います。その後続々と抗生物質が発見されました。感染症対策は大変進み、1980年代中頃には、感染症の時代はもう終わった、との認識が出た訳です。皮肉な事に、この頃から、エイズが米国の同性愛間で拡がり、暫くして、C型肝炎が見つかりました。これらは血液製剤に混入し、多くの犠牲者を出した訳です。1996年には、堺市の病原性大腸菌O157大流行が起こりました。更に、2002年にはウエストナイルウイルスの米国での流行拡大があり、1976年以来アフリカで今も拡がっているエボラ出血熱が再度問題となり今も犠牲者を出しています。最近では、2003年の全く新しいウイルス感染症SARSの出現、2004年の高病原性鳥インフルエンザウイルスの流行とか、色々、新聞、テレビを賑わしております。

6.       しかし、このようなウエストナイル、エボラ、SARS、高病原性鳥インフルエンザ等の華々しい報道とは別に、日本で、現在どの感染症がどのような被害を出しているのかを考えて見るのも必要です。

7.       C型肝炎感染者は人口の1-2%で少なくありません。しかし、検査法が進み、新たな感染は非常に少なくなりました。対策の重点は感染治療による肝臓癌の発生予防に移っています。エイズは若年男性間で同性愛行為を通じてうなぎ登りに増えております。病原性大腸菌O157は相変わらず多くの患者を出していますが、死者は非常に減りました。この感染症の存在を認識し、対処法が分かった為です。

8.       結核は、あまり減っていません。2002年には日本で3.5万人新規患者が出、死者はその年2千人を少し超え、死亡率7%ということになります。これは、病気の中ではかなりの死亡率です。各国の結核患者統計を見ますと、外国人に特に多いのが目立ちます。所謂出稼ぎ外国人です。その国の医療保障から漏れますので、適切な治療も受けられない。又、都市のホームレスの問題もあります。意識不明で大きい病院に救急で運び込まれ、退院した後で、その人が結核に感染していた事が分かり、追跡調査をし、多くの人に予防投薬をしなければならない状況もあります。

9.       病院感染は、大きな問題です。多剤耐性ブドウ球菌(MRSA)、緑膿菌、セラチアなど有名ですが、インフルエンザも病院で1冬に病棟で感染を起こすのは普通の事です。又、病院での食中毒も少なくありません。米国の統計ですと、病院の全経費の15%が院内感染に使われていると言うことです。

10.     病院感染予防の根本は、単純で、汚染した作業をしたら必ず消毒してから次の作業に移る、それだけのことです。しかし、これは容易ではありません。又、病院職員全員が意識し、患者が協力する事が必要です。感染対策マニュアルを持つだけでは駄目です。現場で、職員が一緒になって自分たちの感染マニュアルを作る必要があります。マニュアルを作成することで、その職場の感染に関する問題点が浮かび上がります。もう一つは、院内感染が起こった場合には、徹底して原因を解析し、対策に役立てる事です。院内感染が起こりますと、誰が悪いからこうなったとか、病棟主任看護婦に責任を取れとか、言い出しますが、これでは院内感染はなくなりません。感染症対策では、起こった事は起こった事とし、徹底して次の問題に備える事が肝心です。一方、社会は、医療現場の努力には限界の或る事も認識しなくてはなりません。深夜に、30人近い患者を2人程度の看護婦で担当する病棟は珍しくありませんが、看護婦が2人とも患者の世話をしている時に、急に他の患者ベルをならしたらどうするでしょう。手を洗ってその患者に廻る時間があるでしょうか。医療現場は合理化の波の中で難しい状況にあるように思います。

微生物の生態

11.     ここ迄、感染症の話をしてきました。このように話して来ますと、微生物は悪い事ばかりしていると思われるかも、知れません。これは誤解と云うものです。

12.     ばい菌が全くいない、世界を考えてみて下さい。料理をして放置しますと、腐ります。それを地面に放置すれば、暫く臭いに悩まされますが、気が付いた時には、何時の間にか無くなっています。これは、細菌やカビが、料理を分解し、自分のエネルギー源として使ったからです。もし、このようなばい菌が居りませんと、例えば、人間や動物が死んでも其の侭の形で残ります。地球上は、人間や動物、植物の生々しいミイラで一杯になるでしょう。

13.     細菌は死体の成分を利用して増殖すると同時に、炭酸ガス、水、窒素化合物、等の成分にも分解し、地球全体の物質循環に関わります。細菌は、地球の生物が常に蘇り続ける原動力でもあります。しかし、その細菌も増え続けては困ります。

14.     大腸菌は、条件により20分に一度分裂します。地球の体積は1027 cm3です。菌が分裂し、地球の大きさになる時間を計算して見ましょう。菌の体積を1μm3 (10-12cm3)とし、nを必要な分裂回数としますと、10-12 x2n=1027 、即ち2n=1039 。210=1024なので、概算10n・3=1039、n=3x39=117分裂、即ち117/3=39時間と云う計算になります。これでは、地球はあっという間にばい菌で一杯になってしまいます。そうならないと云う事は、増えた分だけ死んで除去されていると云うことです。しかし、これは激烈な生存競争です。細菌はそれだけ、進化の波にさらされた生物であると云う事です。

15.     体の中でも、便として排泄され、一部は腸管の中で死に、或いは、増殖を抑えられ、他の細菌やカビ等と均衡のとれた状況にあるに違いありません。又、一口にお腹の中といっても、胃、小腸、大腸、直腸、に別れ、それぞれに窪み突起繊毛などがあり、菌種々の菌は自分の住処をその何処かに決めている訳です。そのような場所をnicheと云います。そこで、常に菌は増殖し、死に、除去され、置き換えられている訳です。

16.     ここで、AとBと云う菌が、腸内に、100:10の割合でいて、ここに、Cと云う遺伝子組換え菌をBの100分の1加えたとしましょう。今、どの菌も全く同じ割合で増えるとします。Cは生き延びるでしょうか。Cは大量のAやBの菌に押されて増えられないと思うかも知れません。所で、腸内での菌数は一定ですので、菌が一度分裂すれば、増えた分死ぬか便として排泄されるなどして除去されなければなりません。今、菌はランダムに除去されるとします。すると、死ぬ数は存在する菌数に比例しますから、Cが死ぬ群に入る確率はAの10,000分の1です。つまり、Cは可成り増える迄、確率的に死ぬ側に廻らない訳です。A、B、Cと云う菌がどのような割合で落ち着くでしょうか?それぞれの菌の増殖速度を変えてみるとどうなるでしょう。

17.     細菌も人間と同じようにコミュニテイーを作りその中で平衡状態を作っています。細菌がお互いの存在を認識し、一定サイズの集団を維持する事が知られています。細菌がお互いの存在を認識することを、Quorum Sensing と云います。細菌は低分子物質(細菌のフェロモンとも云う)を介し情報伝達を行います。例えば、イカや魚の発光器官に共生するVibrio fischeriは1010-11/ml位に増えるとN-3-0xohexanoyl-L-homoserine lactoneと云う物質を出し、これが細胞内受容体(LuxR)に結合します。この結合体はルシフェラーセオペロンの転写を活性化し、菌が発光を始めます。菌の濃度が低ければ発光しません。これは、菌が自分の密度が高くなった事を感知し、この物質を産生し、自分自身の発光オペロンを転写誘導している訳です。これに似た現象がどんどん見つかっています。Pseudomonas aeruginosaでは、細菌の密度が高くなると同じ様な機構でエラスターゼ、アルカリプロテアーゼ、外毒素Aのような病原因子が誘導されます。(D. Kaiser, Science 272, 1598-1599, 1996)。

18.     細菌は物質を代謝します。代謝により、色々な物質が作られます。夫々の細菌は特定の物質しか作りません。そこで、ある物質を代謝産物として作る菌と、それを利用して増殖する菌が一緒に居れば、後者の菌は前者が居る事によって生存が可能になるわけです。両者がお互いにお互いの必要なものを供給し合えば、両方に利益があります。このような共生関係は自然界で広く、しかも、複数の菌が全体として、お互いを助け合って存在しています。これをsyntrophyといいます。具体的な簡単な例として、酸素があるとより増殖の良い菌と酸素を嫌う菌との共存があります。我々の腸管の細菌は正にそのような菌の集合です。盲腸炎などで腸管が破裂しますと、先ず、酸素を消費する菌、大腸菌などが増殖し、酸素が無くなるとバクテロイデスのような嫌気性菌が増え出します。ですから、このような患者さんの治療も、両方の菌を頭に入れて行わなければなりません。もう一つの例として、エタノールをアセテートと水素に分解するエタノール発酵菌と、出来た水素と炭酸ガスをメタンガスと水に変えるメタン発生菌があります。

I微生物の世界1.png

19.     自然界では、更に、細菌同士で遺伝子の交換をやっているようです。後で、話をするバクテリオファージが遺伝子を運ぶ場合、菌同士が接合しDNAを移転させる場合、菌が死んでDNAを放出しそのDNAを別の菌が取り込んで自分の染色体に組み込むtransformationなどがあります。例えば、PseudomonasとBurkholderiaと云う菌をナフタレンを分解する菌の居る土壌に混ぜてやりますと、24時間後にはこれら両方の菌共ナフタレンを分解する遺伝子を獲得していると言うことです(Science、2004、305、334-335)。

20.     外洋に出ますと、限りなく透明な水の世界があります。しかし、その透明な海洋には大量の細菌1ml当り栄養の良い海域で5,000,000、深海で40,000位がおります。又、それらに感染するウイルスが1リットルに109、水の表面には1010もいて、海洋で一番数の多い生物はウイルスだと云うことです(Nature、399、541、1999)。海底火山の煮えたぎっている環境(350度C)では、後で紹介する古細菌と呼ばれる細菌や、多細胞真核生物のtubeworm(ex. ポンペイ虫Alvinella pompejanat)が栄えています。海洋だけでなく、地上空高く細菌のが漂っている事も知られていて、これらが、どんな生活をしているのか非常に興味のある処です。

I微生物の世界2.png

21.     計算によると、海洋は総体で3x1028の細菌を飼っていると云う計算もあります。これは眼に見える星の数より1億倍以上の数になります(Nature, 415, 572, 2002)。地球の光合成の半分は水面に近い所に居る海洋プランクトンによると云われていて、最も多いのがcyanobacteriaです。Cyanobacteriaに感染するウイルス(cyanophage)が大量に見つかり(Nature, 424, 1001, 2003)、これらの菌に感染し菌の密度を調節しているとも考えられます。死んだ菌は有機物質を放出し、それを他の微生物が摂取し増殖しますので、物質循環の一翼を担う事となります。

22.     最近、菌を培養せず、直接環境生物のゲノム解析をする事が行われ始めました。例えば、リボソームRNAは細菌の間で核酸配列が比較的保存されていますので、これを標的に核酸増幅(PCR)し解析します。実験室で培養出来ない菌も含め、環境中の多様な菌を見つける事ができます。更には、環境から核酸を抽出し、ヒトゲノム解析と同じやり方で遺伝子の塩基配列を決め、海水1,500リットルから、これ迄知られていなかった1.2百万の新しい遺伝子配列が見つかったと云う報告もあります。つまり、海水中には単に微生物の数が多いというだけでなく、そこにある遺伝子資源も多様性に富んでいると云う事です。

腸管フローラ

23.     我々の体に戻りましょう。我々の体もばい菌で一杯です。ウンコ1mm立方には10の9乗の細菌がおります。我々の体の中にいる細菌は、我々の体を構成する細胞の数より多いという計算になるそうです。歯茎には色々な細菌が居りますが、例えば、大きめの細菌に別の細菌が回りを放射状に取り囲んで集落を作るなど、精巧な細菌同志の連帯生活が見られます。従って、このような安定した集落に他所から別の菌が入って来ますと、当然、それ迄居たばい菌は抵抗します。

24.     無菌動物と言うのがあって、これは、例えばネズミを帝王切開して、出産させ、菌の居ない条件で飼育したものです。このように飼育されたネズミに、例えば、ネズミチフス菌を感染させますと、普通のネズミに対し、無菌マウスだと1万倍も感受性が高いと言う報告があります。お腹の中に沢山ばい菌を飼って、他所から入ってくるばい菌が増えるのを防いでいると考えられます。

25.     われわれの体内のばい菌は栄養も補給しています。動物はビタミンB12を合成出来ませんが、これを補給しているのはこれを合成するお腹の中の細菌です。牛は、藁を食べて栄養を取ります。人間は藁を食って生きては行けません。牛には前胃と言うのがあって、ここで、細菌がセルロースを分解し、グルコースにするので、藁が栄養になるのです。

26.     牛の反芻胃には100リットル位の液体が入っていて、原虫、細菌その他大量の微生物が生存しています。1mlには百万匹位の原虫と100億匹位の細菌がいて、牛の食った草を発酵している訳です。発酵で大量のガスが発生し、成牛がゲップとして大気中に放出する出す一日のメタンガスの量は200リットルだそうです(ゲップの40%がメタンガス、60%が炭酸ガス)。

I微生物の世界3.png

27.     生物の生存には、適切な環境が必要ですが、生物が生きることにより、環境が変わります。それが、又、生物の生存に影響を及ぼす訳です。地球上に最初に出現した生物はメタンガス生成菌で、このガスが地球の大気を形成し、地球からの熱の放散を防ぎその後の生命の進化に至ったと推定されています。生物は進化しつつ、逆に環境を変え、環境の変化を通して、自分自身の進化に影響を及ぼしてきた、と考えられます。

28.     ヒトも含め、生物は現在も地球環境を今も変えています。生命体がある限り、地球は変わります。変わる事が生命体の徴であります。

29.     上に述べた感染症も、地球の気候の変化、大陸間の人や物の移動、人口増加、大規模農業などで、急速に様相が変わりつつあります。ウエストナイル熱が北米でどんどん広がっているのもその影響かも知れません。マラリアの流行もダム開発と大きな関係があります。ダム開発は水利用に大きな影響を与えました。農業潅漑でアラル海が消滅しつつあるのも聞かれたと思います。内戦と感染症は不可分の関係にあります。このような状況は、逆に、自然に思いがけない影響を及ぼすでしょう。感染症を、このような地球全体の生物の相互作用、物質循環と言う一つの系の中で考えてみるのも面白いと思います。

II 微生物の世界

II 微生物の世界

系統進化

1.       ここでは、微生物の生物進化全体の中での位置づけを見たいと思います。生物の分類はリンネに始まります。ダーウインの進化論は、生物進化という系統的な考え方に立った分類、つまり生物系統樹の作成、を可能にしたと云えます。古典的には、系統樹は生物のかたちに基づいて行われていました。しかし、生物がその生物であることはその染色体DNAで決まる事が確立し、DNAの塩基配列をベースにした系統樹が使われるようになりました。

2.       生物間の遺伝学的関係を調べるには全ての生物で或る程度保存されている遺伝子が好都合です。現在よく使われているのは、全ての生物が行う蛋白合成に必須なリボソームの遺伝子です。生物間に保存されている多くの遺伝子がありどれを使っても良いはずです。しかし、遺伝子毎に違った結果になります。これは、進化の過程で、生物間で遺伝子が移動する為です。極端な場合核移行シグナルを持った遺伝子(真核細胞由来)が細菌に見つかることすらあります。遺伝子の水平移動は生物の進化の中で大きな役割を果たしていますが、逆にある生物がその生物であり続け、その生物として進化するには、他の生物由来ではない、その生物特有の遺伝子が無くてはならない筈です。生命の維持に基本的なリボソームのような遺伝子は、このカテゴリーに入ります。リボソームRNAを使った系統樹解析は、生物は大きく細菌(bacteria)と真核細胞(eukarya)と2つに分かれているのではなく、加えてアーケアと云う第三のグループのある事を示しました。アーケアは、高熱、塩の中等苛烈な環境の微生物の検索をしていた米国の微生物学者Woeseが発見したものです。現在次の頁に示すような系統図が考えられています。

3.       ところで、この図にはウイルスがありません。ウイルスは系統的にどう考えたら良いのでしょうか?細菌、真菌(黴、酵母)、原虫、多細胞動物、植物、それぞれに感染し増殖するウイルスがあります。しかし、その遺伝子の関係から全てのウイルスをこのような系統樹に乗せることは出来ません。上に示した生物の進化系統樹ではリボソームRNAが比較の基準となる遺伝子でしたが、全てのウイルスが共通して持つような遺伝子はありません。又、ウイルスとその宿主の遺伝子に共通な塩基配列があると云うような一般的原則もありません。恐らく、ウイルスはそれぞれの宿主との関係で、それぞれが独自の進化を遂げたと考えられます。これを多系統性polyphylogenicと云います。

II生物系統分類1.png

4.       生物は一般に、門、網、目、科、属、種などのレベルで分類され、属と種を示す、二名法が使われております。ウイルスについてもピコルナイウルス科、エンテロウイルス属、ポリオウイルスと云うような使われかたがされます。しかし、上の議論でも分かるように、細菌、真菌、原虫、動植物等は系統図の上でお互いの進化上の関係が示され得るのに対して、ウイルスはこれが出来ません。従って、同じように科、属、種と云っても、ウイルスとウイルス以外では意味するところが違います。又、系統図に乗っている生物についても、分類学はそれぞれの生物を扱う領域で独自に発展を遂げております。植物での属種、動物での属種、細菌での属種を同列に考えることは出来ません。例えば、植物での種間差を細菌での種間差と同じと考えるのは必ずしも正しくない、と云うことです。

原核細胞から真核細胞へ

5.       上の系統図で、一番下の枝分かれする下には何も書いてありません。それが生命の起源です。これがどういうものであったのか、不明ですが、RNAが生命の最初ではないか(RNA World)と云う考えがあります。RNA自体に自分自身を切断、結合、稀に伸長する酵素活性があり、又、試験管内複製で進化が見られるからです。

6.       地球上の最初の生物は嫌気性原核細胞生物で(30-40億年前)、真核細胞が現れたのはそれから少なくとも10億年後と云われています。即ち、原核細胞から真核細胞が進化の過程で出てきたと云う事になります。では、その過程でどんな事が起こらなければならなかったかを知らなければなりません。つまり、原核細胞から真核細胞に進化するにはどういう変化が必要であったか等と云うことです。原核細胞と真核細胞の違いは何でしょうか。

7.       先ず、原核細胞と真核細胞の大きな違いは、前者には核がなく後者には核がある事です。それから、遺伝情報を担う染色体DNAが原核細胞では環状であるのに対して、真核細胞では直鎖状です。蛋白の合成の場は、原核細胞では70Sリボソームが蛋白合成の場ですが、真核細胞では80Sリボソームです。

8.       では真核細胞とアーケア、真性細菌どちらがより真核細胞に近いかと云うと、DNA複製酵素或いはRNA転写酵素が、真正細菌では一つの蛋白質分子であるのに対して、真核細胞とアーケアでは複数の蛋白分子でより複雑なかたちをしています。つまり、この点ではアーケアの方がより真核細胞に近い訳です。しかし、生理機能に関わる遺伝子を見てみますと真核細胞の遺伝子はアーケアではなく真正細菌に類似性があります。この事は、真核細胞が真性細菌とアーケア両方を起源とする事、即ち、核で機能するDNA複製と転写はアーケアから、細胞質で機能する生理機能は真性細菌に由来しているように見えます。しかし、DNAの構造を見ると真核細胞にある直鎖状DNAはアーケア、真性細菌いずれにも見いだされません。

9.       進化はその生物の遺伝情報を増やして行く過程とも考えられます。真正細菌のDNAの大きさを比べて見ますと一番小さいのがマイコプラズマ(Mycoplasma genitalium)のもので、約580,000塩基対、大腸菌K12株だと4,639,000塩基対、大きいものでは9,000,000塩基対位あるのもあります。真核細胞ではhaploid当たり、酵母が12,000.000塩基対、ヒトではその300倍の3,200,000,000塩基対となります。正確な表現ではありませんが、酵母から人への進化の過程で真核細胞は、原核細胞の持つDNA量の限界を350倍のDNAを持つに至った訳です。即ち、真核細胞のDNAにはそれだけ遺伝情報量を増やして行ける機構を内在していたと考える事が出来ます。

10.     生物が成長するには細胞が増える必要があります。細胞が増える過程で遺伝子は保存されなければなりませんから、染色体DNAが完全に2倍に複製しなければなりません。もしも、ヒトのDNAが環状ですと、環状DNAの合成開始点が一つですから、ほぼ大腸菌の700倍の時間が必要であると云うことになります。大腸菌のDNA複製の時間は40分なので、約470時間(19日)となります。これでは生命体としての存続も出来ません。環状構造のDNAのままであれば、沢山の環状DNA遺伝子を700位持つ他はない。そうすると、700別々のDNAの複製調節をどうするかとか、細胞分裂の時にどう複数の染色体を配分するかと云う問題が出て来る。一方直鎖状染色体DNAの場合には染色体の複数の場所から複製が始まりますので、DNA量が幾ら増えても複製に必要な時間は大きくならない。非常に単純化した議論ではありますが、直鎖状である事は恐らく進化の過程で遺伝情報量を増やして行くのに非常に有利に働いたのではないかと考えられます。

11.     それでは、染色体DNAの直鎖状になった起源はどこに求めればよいのでしょうか。細菌(アーケアも含め)には、DNA複製開始点を複数持つ直鎖状DNAウイルスが沢山見つかります。大腸菌のT系ファージがその例です。ウイルスの一つの特徴は小さい事です。今まで分かっているゲノムサイズの一番大きいウイルスを探しますと、直鎖状DNAゲノムをもつアメーバのウイルス、minivirusで、560,000塩基対もあります。これは、最小のゲノムサイズを持つMycoplasma genitaliumの580,000塩基対とほぼ同じ位です。直鎖状DNAという構造的なDNA起源はウイルスに求められるのかも知れません。

共生進化

12.     動物の細胞にはミトコンドリアがあります。これは細胞のエネルギー合成の場です。このエネルギーは、細胞内ではATPとして存在し、ATPがADPに変換される際にエネルギーに変換されます。

13.     このミトコンドリアは細菌細胞と驚く程良く似ています。細菌細胞がグルコースを取り込みますと、代謝経路(エムデンマイヤーホフ経路、TCAサイクル)をへてグルコースと酸素は水と炭酸ガスに変換されます。その過程でNADという分子に水素が付き還元型(NADH2)になり、この還元型分子がエネルギーの素となります。NADH2は細胞膜の電子伝達系により水素イオンを外されてNADとなり、同時に外された水素イオンは細胞外にポンプアウトされます。すると、細胞外の水素イオンの濃度が高くなり、エネルギー段差が出来ます。すると水素イオンは、特別な膜蛋白(F0 F1ATPase)を介して細胞内に侵入し、この際に ADPはATPに変換されエネルギー源となります。この過程を呼吸と云います。

14.     動物の細胞の中では、細胞質からミトコンドリアにグルコースが入り、細菌と全く同じ事が起こります。動物細胞のエネルギー生産の場はミトコンドリアです。ミトコンドリアには細菌細胞と同じような環状DNAがあり、分裂して増えます。又、真核細胞の80Sリボソームとは異なる原核細胞の70Sリボソームを持っています。このような事から、ミトコンドリアは真核細胞に細菌が入り込み真核細胞にその生存を依存するようになったと共に、真核細胞もそのエネルギー生産を共生する細菌に依存するようになったと考えられています。つまり、人間も含め、エネルギーについては、動植物は細胞内に寄生した細菌に寄生している、と考える事が出来ます。

15.     植物にはミトコンドリアに加え、光合成の為の葉緑体(chloroplast)がありますが、、ミトコンドリア同様細菌の共生に由来すると考えられています。ミトコンドリアは真正細菌のproteobacteria、葉緑体はcyanobacteria由来と考えられています。この他、植物の色素を貯蔵するchromoplast、脂肪、オイル、澱粉の貯蔵の為のstorage plastid等も進化の過程の何処かで、原核細胞が真核細胞に細胞内共生し、このような機能を分担するに至った結果と考えられています。

16.     呼吸に関係する遺伝子の多くは動植物の染色体DNA上に見つかり、長い共生進化の中で共生細菌の遺伝子染色体DNAに移動したと考えられます。つまり、細菌の遺伝子が動植物の遺伝子になってしまったとも云えます。

17.     遺伝子組み替え技術により、種はおろか門を越えて他の動物に遺伝子を導入する事が出来るようになりました。これを無制限に行っては、そもそもあった生物種と云うものが保持されなくなくなるのではないか、と云う懸念から「遺伝子組み換え」の規制が議論されて来ました。しかし、長い生物進化の過程では、生物間の遺伝子交換は頻繁に起っているのです。

II生物系統分類2.png

18.     真核細胞の起原の話に戻りましょう。真核細胞の起源は真性細菌なのでしょうか或いは古細菌なのでしょうか。真核細胞のゲノムを調べますと、エネルギー代謝に関わる酵素をコードする遺伝子は真性細菌の対応する遺伝子に似ており、転写や翻訳に関わる遺伝子はアーケアの対応する遺伝子に似ていると云う事が分かって来ています。大きく纏めてみると、前の頁の図のように、転写、翻訳等の遺伝子はアーケアから、エネルギー代謝等の遺伝子は真正細菌から、又、やや根拠は弱いが、DNA複製機構は2重鎖DNAファージからと云うような絵を描く事が出来ます。

19.     真核細胞の呼吸の場ですし、クロロプラストは植物の光合成の場です。このようなエネルギー代謝に重要な器官が、真核細胞に共生したグラム陰性細菌である、と云うのは実に驚くべきことです。これは、進化の途中で起こった壮大な共生現象ですが、共生は現存する生物でも大きな役割をしています。フィラリア(蠕虫を)テトラサイクリン処置すると虫が小さくなり生殖能力を失ってしまった、と云う報告がありました。これは、テトラサイクリンで虫に共生していたWolbachiaと云うグラム陰性細菌が居なくなってしまった為です。感染した雄と感染していない雌の交配では子孫が出来ませんが、他の組み合わせでは全部子孫が出来ます。つまり、感染した雌は雄の感染有無に関わらず感染した雌は子孫が出来ます。この細菌は雌の個体から子孫に卵を介して伝達されますので、細菌は、自分が感染した雌をして、俄然有利に子孫を作らせる事になります。つまり、感染した個体群がこの菌を持つ一つの種の形成をして行くと云う事になり、菌がハチの種の形成を支配しているという事となります。

感染症の進化

20.     上に述べた生物の共生はお互いに利益を得るか、少なくとも相手を殺してしまうような関係ではありません。これが、相手を殺すような状況になったのを感染症と呼ぶ事が出来ます。感染症はどのような生物の間に起こるのでしょう。例えば、ヒトの場合、感染する微生物の種類と病気のパタンに何らかの一般的関係が見つかるのでしょうか。もしそう言う関係があれば、感染症学も分類学と関係付けられ非常に体系だったものになる筈です。しかし、現実はそうは行きません。例えば、淋病を起こすNeisseria gonorrhoeaと髄膜炎を起こすN. meningitidisは何れもNeisseria属ですが、起こす病気は全く違います。生物学的分類と感染症分類は何の関係付けも出来ません。この事は、感染症と云う形での生物間の相互作用は、進化の過程で、行き当たりばったりに発生した事を意味するのであろうと思います。ウイルスが多系統的であることも、それぞれの宿主との関係の結果で独自に進化したとすれば、理解出きるかも知れません。

21.     行き当たりばったりといいましたが、「Tinkering」と云うFrancois Jacobの言い出した言葉があります。字引きを引くと「旅の鋳掛け屋」と出ています。要するに、旅をしながら鍋や包丁等をあり合わせのもので何とか修理して歩く職業です。Jacobは、「生物は、遺伝子も含めあり合わせのものを適当に組み合わせつつ進化した」と考えました。アミノ酸は3つのヌクレオチドでコードされますが、このコードの由来は謎です。なぜ、UAUはトリプトファンをコードしなければならないのか。構造的な理由は全くありません。蛋白のアミノ酸配列はどんな過程を経てきまったのでしょう?Jacobの考え方を適用してみると、デタラメなアミノ酸配列の分子があって、適当に相互作用している内にそれぞれの役割が決まって行ったのかも知れません。ヌクレオチドをランダムに並べた時に得られるアミノ酸頻度と実際存在する蛋白のアミノ酸頻度とを比べた人がいます。両者は驚く程合致します。これは、光合成経路を研究してノーベル賞を貰ったJukesが20年以上前に指摘した事です。

22.     もとに戻りますと、HIVはヒトに感染するレトロウイルスですし、マウス白血病ウイルスはマウスの血球細胞に感染します。しかし、そのレセプターはHIVはCD4ですし、マウス白血病ウイルスは塩基性アミノ酸を取り込む蛋白、transporter、です。又、トリの白血病ウイルスはLDLと云うリポ蛋白のレセプターです。CD4、アミノ酸transporter、LDL receptorいずれもウイルスとは何の関係もありません。やってみたら上手く行ったと云う事でしょう。この事は、ウイルスの表面蛋白が変わると別のレセプターをウイルスが認識出来るようになる可能性も示しています。

III 微生物のかたち

III 微生物のかたち

1.       今日は、微生物の形、大きさ、と言った面から見てゆきたいと思います。生き物は原核生物(prokaryotes)と真核生物(eukaryotes)に分けられます。医学微生物学の対象となるものを例にしますと、次のようになります。

               真核細胞生物(細胞の大きさ:約20μm)

                多細胞生物:だに、しらみ、回虫等の寄生虫

                単細胞生物:アメーバ、マラリア原虫等の原虫類

     真菌

                 原核細胞生物(細胞の大きさ:0.5—1μm)

       細菌

       リケッチア、クラミジア

                 ウイルス(20ー300nm)

2.       真核細胞には核があり、原核細胞には核がありません。この事は、遺伝情報を担うDNAが真核細胞では核の中にあり、原核細胞では細胞質にそのままある、と言うことです。DNAはRNAに転写され、RNAは蛋白質に翻訳される訳ですが、原核細胞ではDNA複製、RNAへの転写、蛋白への翻訳が、全て同じ場で同時に起こるのに対し、真核細胞では、核の中で複製と転写が進行し、RNAは核膜を通って細胞質に出て初めて蛋白に翻訳されます。又、真核細胞は、細胞分裂が済まないと次のDNA合成が始まりませんが、原核細胞では、細胞分裂が済まない内に次のDNA合成が始まります。

3.       次に、それぞれを宿主とするウイルスがおります。ウイルスは一言で言えば、遺伝情報であるDNA又はRNAが蛋白質の殻に囲まれたものです。ウイルスは宿主細胞に感染しますと、宿主の遺伝子発現系をそっくり 利用し自分の遺伝子コピーとその蛋白を大量 に作ります。

4.       生物は増殖を続ける為に、「情報を蓄える」機能と、「その情報に基づき働く」という機能を持っています。だから、もし両方を揃えている細胞に別の情報を入れれば、その情報は細胞の内でプロセスされ機能を発揮する事になります。ウイルスの「情報」を、「情報を解読し働く」機能を持つ細胞にインプットすればウイルスは増殖します。

アーケアと真正細菌について

5.       原核細胞には真正細菌とアーケアが存在しますが、医学領域で問題になるのは真正細菌の方で、ヒトに病気を起こすアーケアは知られていません。アーケアは沸点近い温度の温泉や岩塩等生物が住めるとは思えないような場所に生息する菌として1970年代後半に報告されました。アーケアは極限環境だけでなく、反芻動物の腸管でメタン発酵していたり、海水や土壌など環境中に広く存在します。アーケアには形態的には真正細菌と同じく球菌、桿菌がありますが、四角や三角の結晶のような形態のもの、不定形のもの、泡状のもの等があります。アーケアは大きく、高温を好むもの、メタン産生するもの、好塩性の3群に分けられます。

6.       真正細菌も真核細胞も細胞膜はフォスフォリピドの2重膜からなりますが、アーケアの細胞膜はリピドの1重膜で、細胞の中と外になる両端が親水性のグリセロールの構造をとっています。

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7.       真核細胞生物は、原虫のような単細胞生物と回虫や人間のような多細胞動物に分かれます。多細胞生物の特徴は、分化した細胞が集まって社会を形成し、個体形成しているところです。従って、それぞれの細胞は、「個体の中で自分が何処にいるか」を認識し、それに応じ機能を発揮(所謂「分化」)しなければなりません。即ち、この為には、個体の中での分化の場、或いは勾配(例えば頭から尻尾にかけての分化に関与する物質の濃度勾配)、の形成と、細胞と細胞との情報交換が必要となります。

多細胞性の起源

8.       しかし、このような細胞間の相互作用は真核細胞に限られるものではありません。例えば、Myxobacteria(グラム陰性桿状真正細菌)は、栄養が欠乏してくると菌同士が集まり、fruiting structureと呼ばれる集合体となり、乾燥に強いmicrocystと呼ばれる構造を作ります(次の頁の図参照)。つまり、細胞集合体としての分化を遂げます。こういう細菌は、分化の為により遺伝情報を必要とする筈ですが、確かに原核細胞の中でDNA量が最も多い細菌です。

III微生物の形2.png

9.       この現象は真核細胞生物である粘菌のDictyostelium discoideumで見られる現象と良く似ています。粘菌は栄養状況が良い時には単細胞ですが、栄養が無くなると細胞同士集合し、スラグ(slug)と呼ばれるなめくじのような形態を取り集団として動き廻り栄養分を摂取します。その内に、集合体のまん中から細胞集団が上に成長しfruiting bodyと云う構造を作り、ここが、次の世代の源となります。

10.     このように、原核細胞でも真核細胞でも細胞が集合し、多細胞集合体への分化をする事から、多細胞への進化は真核細胞生物に固有のものではないと考えられています。しかし、多細胞生物としての進化は真核細胞生物でより成功しました。恐らく細胞間情報伝達とかより多くの遺伝情報を必要とした事と関係があるでしょう。一方、原核細胞は、多細胞個体としてよりは、むしろ、栄養が十分ある時の単細胞としての存在形式と栄養が少ない時のバイオフィルムのような集合社会としての存在形式の間を、自由に行き来出来るような方向に進化したように見えます。

人の病気に関わる細菌

11.     人に病気を起こす事が分かっているのは真正細菌です。従って、ここからは、主に、真正細菌の話をしたいと思います。細菌と云えば真正細菌の事を指していると思って下さい。細菌は形から、球状の球菌(coccus)、棒状の桿菌(bacillus又はrod)、ラセン状のラセン菌(spiral organism)あるいはビブリオに、大きく分けられます。

12.     菌のお互い同士の連なり方で、連鎖球菌、ブドウ球菌と云うような分類をしている場合があります。連鎖状に並ぶのは、菌の分裂面が常に平行である為であり、ブドウ状になるのは分裂面が互いにランダムだからです。即ち、連鎖球菌は、分裂の割面は、前の分裂の時に決まっていると云う事が出来ます。この事は、一見、球形であっても、そこに、分裂面への直角軸と、平行面があると言う事です。桿菌では、菌は棒が長くなるように体積が増え、ほぼ2倍になった所で、真ん中に長軸に直角に分裂面が入ります。これも遺伝的に制御されていて、変異により両端に近い場所に2組分裂面が入る場合があります。菌の長軸に並行な分裂面が入ることはありません。何れにせよ、細菌は単純な形ではあるが、縦横は弁えているわけです。

13.     細菌細胞は染色体DNAを含む ヌクレオイド(nucleoid)、細胞質、細胞膜、細胞壁、から出来ています。グラム陰性菌は細胞壁の外に外膜を持ちます。これに、鞭毛、線毛など付属器官を持つものがあります。菌が分裂する場合にもこれらの付属器官は二つの菌に分かれなければなりません。鞭毛のある菌の場合、菌が長くなると、新たな鞭毛が以前からある鞭毛の反対側に作られます。真核細胞で、染色体を両端に引き寄せるキネトコアが出来るのに似ています。

注:細菌は大変小さく、1mm3の固まり(平板上の一つのコロニーの大きさ)で10­9細胞がいます。大腸菌は栄養が良い条件だと20分に一回分裂し、この条件では、一匹の菌が地球の容量に迄増えるのはたったの43時間で、その2時間後には地球の重さに迄増える計算になります。小さいと言う事は、体積に対する表面積の比が大きいと言うことです。正6面体で一辺が10分の1になった場合、体積は1000分の1になりますが、表面積は100分の1にしかなりません。つまり、サイズが10分の1になると体積に対する表面積の比は10倍になります。赤ん坊は大人に比較し、回りの温度の影響を受けやすく直ぐ脱水状態になりますが、これは体が小さく体表面積が体重に比して大きい為です。細菌についても同様な事が云えます。従って、菌は周りの条件をいち早く感知し、代謝を直ちに抑えたり、栄養のある条件では直ちにこれを吸収するような仕組みが出来ております。

真正細菌の分類

14.     真正細菌は、細胞壁の外に外膜が有るか無いかで大きく二つに分けられます。これは、グラム(Christian  Gram,  1884, デンマーク人)の考案し染色法で概ね見分ける事が出来ます。グラム染色で染まらない菌もありますが、大抵の菌は、この染色法でどちらかの見分けが出来ます。分離した菌の見当をつけるのに非常に重要な方法なので大学の微生物実習では必ずやります。抗生物質の処方の時にも分離菌がいずれに属するかが大きな参考になります。

15.     グラム陽性菌と陰性菌の基本的な違いは外膜(outer membrane)が有るか、無いかにあります。細胞壁はグラム陽性菌の方がより厚くなっています。表にすると次のようになります。

III微生物の形3.png

青く染まるのがグラム陽性球菌、赤がグラム陰性桿菌です。即ちグラム陰性菌はアルコール処理でクリスタルバイオレットの色が脱け、陽性菌は脱色されないので、グラム陽性菌はクリスタルバイオレットの青色、グラム陰性菌はサフラニンの赤に染まる訳です。

クラミジアやリケッチアは細胞内細菌で普通のグラム染色には適さず、スピロヘータはよく染まりませんが、外膜を持つので、基本的にはグラム陰性菌に入ります。マイコプラズマは細胞壁が無いのでグラム染色では青く染まりませんが、外膜も持たないのでグラム陽性菌の仲間と云うことになります。結核菌は細胞壁がリピドに富みグラム染色には適しませんがず、外膜を持たないので基本的にグラム陽性菌の仲間です。この様に外膜の有無で細菌を大きく2群に分けることが出来ます。前章の生物系統樹を見ますと、その可成り根元の処で系統として分かれているのが分かります。

細菌による物質の取り込み

16.     取り込まれる栄養分は必ずアミノ酸、糖等で、大きな蛋白質や脂質を其の侭取り込む事はありません。即ち、取り込む前に何らかの形で、微生物は高分子物質を分解する訳です。自分でやる事もあれば、周りの菌が分解したものを頂くこともあります。しかし、細菌の細胞膜も外膜も、基本的に疎水性のリピド2重膜(lipid bilayer)構造なので、親水性の物質は通しません。一方、細胞壁は、NーアセチルグルコサミンとNーアセチルムラミン酸が交互に連なった糖鎖がオリゴペプチドで架橋された構造を持つペプチドグリカン(peptide glycan)で、基本的には糖で、親水性です。又、外膜の外側も糖鎖があり親水性です。従って疎水性の物質も通しません。これでは、菌は何も物質を取り入れる事が出来ないわけです。

18.   この為、菌は、物質を特異的に通す特別な構造を持っています。グラム陰性菌の外膜にはポーリン(porin)と云うタンパク質で出来た構造があり、ここを通って必要な親水性物質が取り込まれます。又、グラム陽性菌陰性菌いずれの細胞膜にも物質輸送の為の構造があり、これが物質輸送を行います。つまり、細菌の表面全体からただ無差別に取り込むことはせず、アミノ酸にせよ糖にせよ特別の入口を使って取り込まれる訳です。細胞から不要な物質を捨てる場合にも特別な出口が必要であう。細菌がテトラサイクリン耐性になるのは、この抗生物質を菌体外に汲み出す蛋白をコードする遺伝子を獲得する為です。

菌の運動と極性

19.     細菌の鞭毛(flagella)は運動器官です。鞭毛を持つ菌を栄養分を含むゆるい寒天平板の中心にスポットすると、同心円状に菌の増殖したゾーンが見られます。これはスポットの外側のより栄養が消費されていない方向へ菌が運動する為です。鞭毛は螺旋状になっていて、鞭毛が螺旋方向に回転すればプロペラで進む船のように、菌は鞭毛付着部を尻にして直進し、回転方向が逆になると、菌はその場所でクルクル回りをします。菌が全体として栄養分の多い方向へ移動するのは、菌の進行方向が栄養分の多い方向と一致していれば螺旋方向の鞭毛回転が長く続く為です。

20.     ここで、「菌の進行方向と一致していれば」と言いましたが、この事は、精々数μm程度の長さの菌の中で、進行方向側にある頭と鞭毛のある尻尾側が機能的に区別出来る仕組みがあると云う事です。一つの細胞の中に頭側と尻側という極性があると云う事です。糖等の栄養濃度勾配がありますと、鞭毛と反対極にあるセンサー複合蛋白Methyl-Accepting Chemotaxis proteins をメチル化し、次いで、燐酸化の連鎖反応により情報が鞭毛の根元にある鞭毛運動蛋白に伝えられる訳ですが、自分が栄養のある方向に向かって泳いでいると言うことを知るには、数ミクロンという短い体長にそって何らかの濃度差を認識しない限り駄目な訳です。つまり、一見棒状の単純な菌体ですが、頭の部分と尻尾の部分とはそれぞれ別に糖濃度を知る仕組みがあると云う事になります。

菌のその他の付属物

21.     鞭毛と似たもので、線毛(pilus、pili)があります。菌同士の接合に関係する性線毛(sex pili)、宿主細胞との接着に関与し、病原性を決めるpiliがあります。代表的なのが、淋菌の線毛で、これにより菌は確りと粘膜上皮にしがみつきます。線毛を失うと病原性もなくなります。線毛は、細菌が他の細菌あるいは動物細胞と相互作用をするにあたって最初に必要な接触を行う器官である、と云う事が出来ます。

22.     細菌の付属物として、莢膜(capsule)があります。これは多くは多糖体で、細菌を包み、宿主の攻撃から菌を守ります。ヘモフィルス菌、肺炎球菌などで、これを持つ細菌は持たない菌と比較し病原性が高いことが分かっています。

23.     微生物は、ばい菌として、形としては多様性のない、面白くない対象のように見えますが、こうして見て来ますと結構多様性に富んでいます。一体、形態における多様性を計るのには、どのような物差しを使えば良いのでしょうか?

IV 生物が生きて行く為の基本的なプロセス

IV 生物が生きて行く為の基本的なプロセス

生物の基本

1.       生物がその生物であると云う事は、子が親に似る事で推測されるように遺伝が大きな役割をしています。遺伝を決めるのはDNAです。

2.       DNAはRNA に転写され、さらに蛋白に翻訳されます。即ち、DNA → RNA → 蛋白と云う情報の流れがあります。無論、全てのRNAが蛋白をコードしている訳ではありません。蛋白合成に必要なリボソ−ムRNA、tRNA、最近機能が段々良く分かって来た遺伝子発現を制御するRNAiとか、色んなRNAがあります。問題は、細胞が生きると云う事は、DNA → RNA → 蛋白、これに尽きるかと云うことです。

3.       例えば、細菌の染色体DNAを抽出し、これにRNA転写酵素、蛋白合成系、エネルギーを加えると細菌が出来るのでしょうか。仮に、RNAと蛋白等を生体内と全く同じタイミングで、同じ量で生産させ、これらの産物生体内と同じように相互作用出来るようにしたとします。これで、生きた細菌が出来るでしょうか。この設問は、生命の最小単位は何かと云う問題と関係します。

4.       2007年に入り、ヒトの全遺伝子塩基配列の決定に成功したVenterのグループが、ゲノムサイズが最小の細菌マイコプラズマを用い、そのDNAを他種のマイコプラスマで置き換える事に成功しました。つまり、少なくとも他種の細胞質の中で異種のDNAが完全に遺伝子として働くと云うことです。この成功と上の質問との間には大きなギャップがありますが、上の質問の回答への一つのアプローチです。生命の最小単位は何かと云う疑問を頭に入れた上で、遺伝子の発現の仕組みを振り返ってみる事にします。

生命の現象

5.       生体内の反応は、エネルギーを得る反応、エネルギーを使ってアミノ酸、糖、脂肪酸を合成する反応、アミノ酸を蛋白に、単糖を多糖体に、脂肪酸をリピドやリポ多糖体に、ヌクレオチドをRNAやDNAに重合する反応、そして、重合して出来たリピドやリポ多糖体を細胞膜に、蛋白をリボソームや鞭毛等の形にする会合に分けることが出来ます。

6.       エネルギーを得る呼吸反応は、細胞膜にある電子伝達が関与しますが、基本的には細胞膜を隔てた水素イオン濃度勾配がエネルギー源です。水素イオン勾配は、水素イオンを細胞外に押し出す電子伝達系の蛋白が作ります。エネルギー生産には細胞膜と電子伝達系二つ揃っていなければなりません。電子伝達系の蛋白はDNAにコードされ、細胞膜を構成するリピドもDNAのコードする酵素活性により合成されます。即ち、エネルギーを得るに必要な構成分の情報全てがDNAにあるのです。しかし、そのDNAの持つ情報を引き出すにはDNAのもつ情報の産物である酵素蛋白、リピド二重膜等を必要とする訳です。つまり、情報のループが出来ます。「生命を作る」と云う事は情報のループを作ると云う事になります。生命の起原も、一つの物質ではなく、情報のループとして想定しなければならないのかも知れません。

7.       呼吸だけでなく、全ての細胞の中の反応は細胞の特定の場所で起こります。酵素反応と細胞の解剖学的構造とは密接な関係にあります。その解剖学的構造を作ると云う情報は、細胞のDNAに全て含まれているのでしょうか。生命の起原に於いて情報のループを考えなければならないとすれば、遺伝子としての進化があった様に解剖学的構造としての進化があったのでは無いかと思います。そこにある構造なしには、その構造を複製して行く事は不可能だと思うからです。このように考えると、生命の進化には遺伝子の進化、かたち或は構造物の進化、があり、両者は相互作用しつつ現在の生き物を作って来たのでは無いかと考える事が出来る様に思います。

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8.       高校の教科書を見ますと、紐状のDNAにRNAポリメラーゼ取り付き、DNAの上を動いて行ってmRNAが合成され、次に、そのmRNAの端にリボソームが取り付き、アミノ酸の付いたtRNAが次々とmRNAにくっついて行って蛋白が出来る、そんな絵が描いてあります。しかし、これは概念図で現実は随分違います。

9.       mRNA合成や蛋白合成は核や細胞質と云うどろどろしたヘドロのようなものの中で起こる訳です。そこには色々の構造物もあります。透明な水の中で起こる訳ではありません。GoodsellのThe Machinery of Cellには、実サイズの正確な縮尺になった色んな分子が転写、翻訳をやっている模式図が出ています。RNAポリメラーゼもリボソームも相当なサイズである事が実感出来ます。こんな嵩張ったものがどろどろした核や細胞質や核の中でDNAやRNAの上を滑って行くとは考え難い事です。実際、ポリメラーゼやリボソームの方が固定されていて、鋳型となるDNA或いはRNAが手繰り寄せられるようにして転写や翻訳が進行します。

10.     ウイルスが感染し細胞内に入ると云っても、やはりこのようなヘドロのようなものの中に入って行く訳です。そこには、細胞質、或は、核の未だ完全には分かっていない蛋白分子の入り組んだ微細構造の世界があるに違いありません。ウイルスが細胞に侵入した時の感じは、水の入ったプールに飛び込むと云うよりは、樹木や羊歯がびっしりと生えた密林にはいるようなものに違いありません。

     V ウイルス

1.       細胞を非常に単純化して見ますと、「DNAに由来する情報」とそれを「発現させる酵素機能」の二つによって成り立っていると云えます。ウイルスはその情報部分だけを持っているものと云う事が出来ます。ウイルスが宿主細胞に侵入しますと、ウイルスの持つ情報は、宿主細胞の遺伝情報をプロセスする流れを利用し、或は完全にこれを乗っ取って、その遺伝情報を増幅し、その子孫ウイルス粒子を作ります。下の図の様に、ウイルスを遺伝情報の流れの中で分類する事が可能です。

2.       遺伝子はその鋳型と相補性を保ちつつ複製或は転写されますので、情報としては DNA であっても RNAであっても等価です。又、1本鎖であっても、2本鎖であっても持つ情報は変りません。1本鎖の場合、mRNAと同じ極性(プラス鎖)でも、逆の極性(マイナス鎖)であっても等価です。つまり、情報としてならば、この内のでれでも良い訳です。

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3.       感染粒子内のゲノムを見ますと、あらゆるゲノムとしての存在様式を利用している事が分かります。1本鎖あるいは2本鎖の RNA あるいはDNA のゲノム、一本鎖の場合には、プラス鎖もマイナス鎖もあります。ゲノムが環状か直鎖状かも加味し、ウイルスを次のように整理する事が可能です。

      DNAゲノム

      1本鎖    直鎖状:パルボウイルス     

                   環状 :M13ファージ

      2本鎖    直鎖状:T4ファージ、アデノウイルス

                   環状 :パポーバウイルス

       RNAゲノム

       1本鎖   直鎖状:Qβファージ、ポリオウイルス

                   環状  :ウイロイド、D型肝炎ウイルス

      2本鎖   直鎖状:ロタウイルス

                  環状 :なし

環状か直鎖状か

4.       DNA は合成開始点から両方向あるいは片方向へ、鋳型と相補的に進行し、それぞれのDNA 鎖は5'から3'方向に伸びて行きます。結果、一方は 伸長方向と同じ方向にDNA合成が起こり、片方は伸長方向と逆にDNA合成が起きます。このDNA伸長と逆向きのDNA合成は、日本の岡崎博士が発見したもので、1,000塩基ずつ短いDNAが出来最後にこれ同士が繋がると云うものです。

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5.       直鎖状 二本鎖DNA を持っているT4 ファージ(DNA合成開始点は複数ある)のDNA 合成を考えてみます。前のページの図を見て下さい。今、DNA鎖の両端のDNA合成を考えてみます。DNA伸長方向が端方向であれば、端迄進行します(図の左側)。ところが、DNA伸長が端から中心に向かう場合、DNA合成には必ずRNA primerが必要なので、端っこ迄伸びるには、端より外側にprimerが付く必要があります(図の右側)。これは不可能です。つまり、このようなファージは複製する度に遺伝子を端から失う筈です。

6.       ファージはこの問題をどう解決しているでしょうか?端が無くならない為には、端が無くなっても大丈夫なように端を余分に長くするか、環状になるか何れかです。T4 ファージの場合には、沢山出来た DNA コピーが組み換えによりファージ遺伝子が同じ向きに沢山つながったDNAを作り、その端から全遺伝子セットより 4,000 塩基分長く詰め込んで行きます。こうすると、端には 4,000 塩基の重複が出来、両端それぞれ 1,000 塩基位複製されなくても、ウイルス粒子には全部以上の遺伝子が揃う事になります。

7.       一方、ラムダファージの場合、 DNA は細胞内で環状になり、糸巻きがほぐれるように複製をします。すると、自然にウイルス遺伝子が同じ方向に繋がった長いDNA出来が出来ます。そして、ゲノムの特定部分を粒子形成機構が認識し、正確に同じサイズのゲノムをウイルス粒子に詰め込んで行きます。環状のDNA が環状ゲノムにはこのような問題は全く起こりません。

8.       ヒト等真核細胞生物の染色体DNAも直鎖状の2重鎖DNAです。5'端の複製に関する問題はここでも起こります。この場合はどうしているのでしょうか。真核生物の染色体DNA末端にはテロメア(telemeter)構造という特殊な構造があります。例えば脊椎動物では末端に  5'-CCCTAA-3'/5'-TTAGG-3'の様な構造を単位とする繰り返し配列があり、種によって異なりますがマウスでは150,000塩基もの長さになります。 このテロメア部分の伸長を行う酵素は鋳型RNAを組み込んでいて、 更にプライマーを必要とする事無くDNA断端の長さを保ちます。細菌の染色体DNAは環状ですが真核細胞の染色体DNAは直鎖状です。

9.       即ち、もしも、原核細胞から真核細胞に進化したとしますと、その過程においてテロメア構造の獲得が必要であったと云う事になります。

RNAウイルス

8.       次に、RNAウイルスに注意を向けて見ましょう。ポリオウイルスのようにmRNAと同じプラスの極性を持つ1本鎖RNAウイルスは細胞に入れば直ぐこれを鋳型としてウイルス蛋白の合成を始める事が可能です。しかし、マイナス鎖あるいは2重鎖のRNAを遺伝情報として持つウイルスは、次の宿主に入ってもウイルスゲノムはmRNAとして働きません。このようなウイルスは、必ず粒子内にRNAポリメラーゼがあります。先ず、ウイルスが宿主細胞に入ると、ウイルスゲノムRNAを鋳型としてmRNAを転写し、次いでウイルス複製に必要な酵素を作る、と云う順序になります。

ウイルス粒子

9.       ウイルス粒子は、遺伝情報とそれを次の感染が起こる迄大切に保護している容器からなっていると云えます。。容器の構造は非常に安定していなくてはなりません。この容器の事をカプシドと云います。ウイルスカプシドは蛋白(capsomere)が会合して出来ます。蛋白は不規則な形をしています。このような不規則な形状のものが会合し安定な構造を取るには、螺旋対象か正20面対象のいずれかである、と云う事が数学的に証明されています。( I. Stewart:Game, Set and Math, Penguin Book)。実際、ウイルスはいずれかの構造を取ります。例えば、インフルエンザウイルスは螺旋対象、ポリオウイルスは性20面体構造を取っています。

10.     ウイルスにより、カプシドがさらに細胞膜と同じリピド2重膜に囲まれているものがあり、それにウイルスのエンベロープ蛋白が突き刺さった構造を作っております。この様なウイルスを、エンベロープウイルス(enveloped virus)と云います。小児まひを起こすポリオウイルス、風邪の症状を起こすアデノウイルスなどはエンベロープを持たず、エイズウイルス(HIV)、B型やC型肝炎ウイルス、インフルエンザウイルスなどはエンベロープを持っています。エンベロープには細胞の受容体と結合蛋白が埋まっていて感染に必須の役割を果たします。そこで、リピド2重膜を壊すような物質、例えばクロロホルム、アルコール、中性洗剤、などで処理しますとエンベロープが壊れ受容体と結合する蛋白も失われ、感染性が無くなります。つまり、消毒される訳です。エンベロープの無いウイルスはこのような物質では中々感染性が失われません。

ウイルスの感染サイクル

11.     感染は吸着、侵入、ゲノム複製とウイルス蛋白の合成、ゲノムとウイルス蛋白の会合、ウイルス粒子としての成熟、細胞からの放出、の順序で起こります。

吸着

12.     吸着にはウイルス側と細胞側両方にお互いを認識する物質が必要です。エイズの原因であるHIV-1のエンベロープ蛋白はヒトの特定のT細胞(ヘルパーT細胞)上の CD4 分子を認識し感染します。感染により破壊されるのはCD4分子を細胞表面に持つTリンパ球です。CD4 分子はヒトとチンパンジーの 細胞表面抗原CD4陽性T細胞にしか存在しないので、HIV に感染するのはヒトかチンパンジーです。吸着は宿主・組織特異性を決める第一段階です。

13.     最近CD4の他に2種類のサイトカインレセプターがHIV感染に必要な事が分かり、それぞれ、マクロファージあるいはT細胞への親和性を決めている事が分かりました。マクロファージにサイトカインレセプター遺伝子を欠くヒトがいて、このようなヒトにはHIV感染があまり起こらないことも分かっています(Science 272, 1740, 1996)。

侵入

14.     侵入には幾つかの方法があります。動物ウイルスの内、一部のエンベロープを持つウイルスはそのエンベロープが宿主細胞の細胞膜と融合することにより開始します。この機構で取り込まれないエンベロープウイルスやエンベロープを持たないウイルスは、細胞が物質を取り込む機構 endocytosis を利用し細胞に侵入します。

15.     細菌に感染するウイルスをバクテリオファージと云います。細菌には細胞壁があるので、動物細胞のようには行きません。T4 ファージやラムダファージには頭(head)尾(tail)があり、頭は核酸の詰まった注射筒、尾は注射針の働きをし、針が細胞壁を突き抜け細胞質に到達すると、DNA が注入されます。f2 やQベータなどの RNA ファージ(球形)、f1, M13、fd などのDNA ファージ(棒状)は性線毛に接着し、それぞれ線毛の側面あるいは先端からDNA を注入します。

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ウイルス遺伝子複製と遺伝子発現

16.     ウイルスゲノムが細胞に入ってからは、ウイルス遺伝子がタイミングよく発現し、ゲノムの複製が起こります。最後に、ウイルス増殖の最終段階としての粒子形成となります。粒子形成のステップは、基本的には、ウイルス核酸とウイルス蛋白の会合(assembly)、ウイルス粒子の成熟(maturation)、放出(egress)です。

17.     ラムダファージやポリオウイルスなどでは、細胞内でウイルス粒子が形成された後、細胞が融解しウイルスが放出されます。HIV のようなエンベロープウイルスでは、ウイルスカプシドはエンベロープ蛋白が集まっている膜の下に輸送され、細胞表面から芽が出るように放出されます。

宿主の進化とウイルス

18.     前に述べましたが、ウイルスは多系統性です。つまり、系統樹にのりません。しかし、系統樹の種々の位置に属する生物には、その生物特有のウイルスがいます。

19.     先ず、原核細胞ですが、アーケアにも真性細菌何れにも特有のファージがいます。原核細胞のウイルスの殆どは、二重鎖DNAファージ(遺伝子長20-180 kb)です。真正細菌のファージとアーケアで、それぞれを宿主とするファージの頻度が違い、真正細菌のファージの殆どの種類が尻尾を持っているのに対し(96%)、アーケアでは4%に過ぎません。細胞壁が真正細菌にのみあるのと関係があるかも知れません。

20.     このようなファージの環境中での存在ですが、海水ではmlあたり細菌が百万個(殆どがcyanobacteria)単位でいるのに対し、ファージ粒子は千万個単位と云う事です。これらのファージは殆どが尻尾のある大型の2重鎖DNAファージで、感染し菌を溶かす急性感染をするもの、溶原化し菌と共存するもの何れの種類も見つかります。

21.     このように環境中でファージが沢山存在すると云う事は宿主である菌がどんどん溶け、菌のDNAが大量に海水や土壌にいると云う事です。細菌にはDNAを取り込み、その遺伝子を自分の遺伝子にしてしまうトランスフォーメーションと云う現象がありますが、大量のDNAが環境中にあれば、どんどんトランスフォーメーション(つまり、遺伝子の水平移動)が起こりえる事が想像されます。

22.     抗生物質を出す放線菌は自分自身の出す抗生物質から身を守るため抗生物質耐性遺伝子を持っていますが、現在問題になっている抗生物質耐性の原因である薬剤耐性遺伝子もこのような放線菌に由来することが分かっています。土壌には放線菌とそれを宿主とするファージが菌の何倍もいますが、ファージが感染し溶菌すれば、薬剤耐性をコードする遺伝子を含むDNAも多量に環境に放出され、他の菌に取り込まれ薬剤耐性を付与しているのかも知れません。

23.     次に、真核生物の系統進化とウイルスの多様化の関係を見てみましょう。但し、全ての生物のウイルスが分かっている訳ではないので必ずしも網羅的な記載にはなりません。

24.     まず、真核細胞の系統樹で根元近くにあるDictiostelium(細胞性粘菌)、真菌や線虫にはウイルスが見つかっていません。但し、真菌細胞内にはキラー因子と云う2重鎖のRNAがあります。これは、細胞内の増殖サイクルを繰り返すRNAウイルスとも云えます。

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25.     次に、脊椎動物への系統進化で見てみます。最も原始的なヤツメウナギ、メクラウナギ、ウニでは感染性粒子を作るウイルスは無いか非常に稀です。両生類、爬虫類でも、それぞれ、系統発生的に下等なサンショウウオやワニでは極めて少ない種類のウイルスしか見つかっていません。ところが高等なカエル(両生類)やトカゲ(爬虫類)になりますと、種類がぐっと増え、殆どのDNAウイルスが見つかるようになります。ところが、RNAウイルスの種類は少ないままにとどまります。これは、後で述べる高等な魚類で多様なDNA、RNAウイルスが見つかるのと対照的です。

26.     魚類でも下等な軟骨魚であるサメでは2重鎖のDNAウイルスであるヘルペスウイルスしか見つかっていませんが、より高等な硬骨魚になりますとDNAウイルスではヘルペスウイルス、アデノウイルス、ポリオマウイルス、イリドウイルスが見つかり、RNAウイルスではプラス鎖、マイナス鎖、2重鎖、全ての種類のウイルスが見つかります。

27.     節足動物では原始的なカブトガニにはウイルスが見つかっていませんが、より進化した昆虫には大型中型のDNAウイルスが多種見つかります。

28.     植物では、下等なシダ類では殆どウイルスが見つかりませんが、多様な種を持つ被子植物には多種の一本鎖RNAウイルスが見つかります。但し、見つかるDNAウイルスの種類は多くありません。被子植物は受粉を介する昆虫と密接な関係にありますが、昆虫に多いDNAウイルス種は植物に少なく、植物に多い一本鎖RNAウイルス種は昆虫では少なく、不思議なところです。

29.     上の系統図で、ウイルス種の多い生物を茶色のボックスに、ウイルス種の少ない誠意物を薄青のボックスに入れて見ました。一見して分かるように、系藤樹の末端、つまり、進化的に進んだ生物に茶色が集まっている事が分かります。つまり、進化に伴い多様な種に分化する程ウイルス種も多くなる、或は、宿主の種としての多様化と寄生体であるウイルスの多様化が同調して起こっている、と云えます。ウイルスが宿主との相互作用で増殖する事を考えると、宿主が多様化すれば、それに応じウイルスも多様化しなければ、ウイルス種としての存続が成り立たなくなるのだ、との解釈が可能です。或は、種が増えるだけウイルスとしては種々の存在様式を取る事が可能になるのだとも云えます。

30.     脊椎動物を取ってみると、獲得免疫系は硬骨魚あたりから発達し始めますが、脊椎動物のウイルス種が増えるのもこの系統発生段階に一致します。免疫系の発達はウイルス種を押さえ込むどころか、むしろこれを増やしています。よりより効率の良い防御機構の出現に対し、ウイルスはよりその種類を増やしこれに打ち勝っているのかも知れません。

V 生物は変身する

V 生物は変身する

1.       微生物は変身する。その古典的な証明がアベリーの肺炎球菌のトランスフォーメーション(transformation)の実験です。病原性菌株のDNAを病原性のない菌に取り込ませると、病原性の菌になると云うものです。この場合莢膜(多糖体)の有無が病原性を決めています(莢膜を持つ菌が病原性を持つ)が、多糖体は、遺伝子産物である蛋白(つまり酵素)の働きにより合成され、蛋白は遺伝子(DNA)がコードしますので、病原性に関わる遺伝子が取り込まれたDNAにあったと云う事になります。

2.       この実験は、DNAを生物に入れてやれば、生物は取り込んだDNAにコードされている遺伝情報を発現し、姿を変えてしまう事を示しています。生物の性質はDNAにコードされた遺伝子で決まる、と云う事を示した点で非常に重要です。無理にやらせた実験なので、自然界では起こらないのではないか、と思われるかも知れませんが、実はこのような事は自然界で常に起こっています。

3.       淋病は国民の間で静かに拡がっている病です。男性は尿道に炎症を起しますが、女性の場合気付かないのが普通です。しかし、女性では子宮から卵管に入り炎症を起し子宮外妊娠の原因となり、更に血液に入って関節炎、髄膜炎を起し致命的になる事があります。感染は尿道ですので、1日10リットルも20リットルもの液体で洗い流されている処で粘膜に取り付いて増殖しなければならない。まるで滝の途中にへばりついているカエルのようなものです。そこで、淋菌は線毛を粘膜に深く差し込んでしっかり取り付きます。しかし、人間の方もこれに対抗して粘膜抗体を産生します。線毛が抗体でやられますと菌は洗い流されてしまう。そこで、菌は線毛の抗原性を変える、つまり、抗原蛋白をコードしている遺伝子を変化させます。これが、今述べたトランスフォーメーションによっている事がわかりました。淋菌は抗原性の異なる蛋白をコードする予備の遺伝子配列を持っております。菌が死ぬとそのような配列のDNAが、生きている菌に取り込まれ、宿主の染色体遺伝子と組み替えを起して、生きた菌の線毛の抗原性を変える訳です。

4.       遺伝子が菌から菌に移動する機構はトランスフォーメーションだけではありません。菌と菌が接合しDNAを移行させる接合(性線毛の助けを借りてプラスミドが菌から菌に移行する現象)、毒素遺伝子を持ったバクテリオファージ(細菌に感染するウイルス)の感染により菌が毒素を産生するようになるケース(phage conversionと云い、コレラの毒素産生が良い例)、トランスダクション(transduction、ファァージが宿主で増殖する時に過って宿主遺伝子そのものをウイルス粒子に取り込んでしまい、次に感染した時に取り込んだ遺伝子を次の宿主の染色体等に導入してしまう)などがあります。組み替え植物の作成にはAgrobacteriumと云う細菌を使いますが、これはこの細菌がtypeIV分泌系(大腸菌の性線毛に似ている)を介してTiプラスミドを植物細胞に注入する事を利用したものです。大腸菌のプラスミド等にクローンされた遺伝子をプラスミドに乗せて置けばこの遺伝子が植物に導入される事にないます。

5.       プラスミドは、細菌の染色体とは独立して複製する環状DNAですが、自分自身を宿主から別の宿主に移動させる為の遺伝子(数個の遺伝子から成りtra遺伝子と云う)を持っています。線毛もそのtra遺伝子の中にコードされています。プラスミドには、色々な遺伝子が乗っていますが、医学的に重要なのは抗生物質耐性遺伝子です。ペニシリンを壊すβラクタマーゼはその良い例です。多くの薬剤耐性遺伝子が一つのプラスミドに乗っていますと、多剤耐性が一挙に伝達される事になります。中には、消毒剤耐性遺伝子もあり、抗生物質耐性遺伝子と同じプラスミド上にあれば、消毒剤を使う事に依って抗生物質耐性菌も選択的に増えると云う事にもなります。

6.       赤痢菌は大腸粘膜細胞に侵入し、出血下痢症を起こします。この細胞侵入に必要な蛋白をコードする遺伝子は巨大なプラスミド上にあります。赤痢菌と大腸菌は非常に似た菌でプラスミドの移行が容易です。すると、大腸菌が病原遺伝子を持つプラスミドを接合伝達で獲得すると病原性を持ち得る事になります。一方、プラスミドは菌から抜け落ちる事があります。赤痢菌を患者から分離して培養を続けますと病原性が著しく低下しますが、これは病原性プラスミドの脱落によるものです。

銘記して頂きたいのは、病原性を決める遺伝子や抗生物質の治療効果を左右する薬剤耐性遺伝子は菌から菌に移行するプラスミドに乗っている事が多いと云う事です。

動き回る遺伝子

7.       遺伝子はこのようにプラスミドやウイルスに乗って菌から菌に移って行くだけではありません。菌の中で染色体のある部分から別の場所に転位することも出来ます。所謂、動き回る遺伝子、jumping gene, transposable element、と云われるものです。始めて、発見されたのはトウモロコシででした。トウモロコシには系統によって色とりどりの粒が一つのサヤの中に見つかります。遺伝子が飛び回り、色素生合成に関わる遺伝子の発現を色々に変えるのではないか、と云うのがBarbara McClintockの仮説でした。

8.       動き回る遺伝子には、遺伝子がDNAとして切り出されその場所から別の場所へ移るもの(元の場所にそのコピーが残らない)、遺伝子が動く時に複製が起こり元の場所に自分のコピーを残すもの、RNAに転写された遺伝子がDNAに逆転写されコピーが別の場所に組み込まれるもの、等があります。最後のものをレトロポソンと云います。逆転写が転位のプロセスに関与しているからです。

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9.       ゲノム研究が進んで、例えばヒトの場合、染色体DNAの4-5割をこのような動き廻る遺伝子が占める事が分かりました。むろんこれらの遺伝子は動く能力を殆ど失っています。過去に遺伝子が動き回り遺伝子として増殖した歴史的産物のようなものです。

10.     ヒトの場合蛋白をコードする部分は遺伝子全体の1.5%位と推定されています。一見、我々人類の遺伝子は役立たないゴミの固まりのような印象を受けます。この事は、従来、C-value paradoxと云われて来たものに関係があります。C-value paradoxと云うのは、例えば、Amoeba proteusのDNAは29掛ける10の10乗の塩基対を持つのに、ヒトのDNAは34掛ける10の8乗しかありません。原虫のようなやつよりも人間の方が情報量を持たないと云うのは変な話、つまり、パラドックスだ、と云う訳です。

11.     酵母になりますと全ゲノムの70%位が蛋白をコードし、細菌になると80-90%が蛋白をコードします。つまり無駄が無くなります。つまり、下等なやつの方がここでは効率が良いと云う話になります。こう云う話になりますと、進化はゴミの情報を貯め込んだと云う話になってしまいます。

12.     実は、最近このゴミの部分が実はゴミではなく重要な働きをしていることが分かって来ました。これは、蛋白をコードしない部分にはリボソームRNAとかtRNAとかがあるのですが、それは別にしての話です。先ず、ゲノム蛋白をコードする遺伝子部分は精々2%位なのですが、残りのDNAの80%が何ら蛋白をコードしないにも関わらずRNAに転写されていると云う事です(Science 316, 1556-1557, 2007)。このRNAは一体何をしているのでしょう?次に問題なのはヒトとチンパンジーの関係です。ヒトとチンパンジーは遺伝子にして1%位しか違いがありません 。何が、ヒトとチンパンジーを大きく隔てているのか、どの遺伝子の変化がヒトにしているのか、と云う問題です。それで、チンパンジーからヒトへの進化の中でどの遺伝子が一番変わったかを調べてみた訳です。現在迄49このような染色体領域が見つかっていますが、何れも蛋白をコードしないRNAとしてのみの発現がある部分である事が分かりました。49個の内一番変化しているのがHAR1と云う領域で、発生過程の大脳皮質で神経細胞の移動に関係する領域です。この領域が知能に関係する脳の発生に関係する遺伝子である事は頷ける事です。又、この急速な変化は塩基変異ではなく、組み換えが頻繁に起こった事によると云う事です(Nature, 443, 149-150)。

13.     RNAに遺伝子発現を調節する機能がある事が、ここ数年、急に分かってきました。RNA干渉と云うのがその代表的なものです。話が段々逸れますので、この話は別に取っておきましょう。

14.     話しを戻します。ヒトの染色体DNAの98%も占めるゴミの部分の大半が動く遺伝子であり、そのような領域が進化に大きく関与しているのを見て来ました。遺伝子の移動なしには生物の進化は無かったかもしれません。

15.     微生物に於ける遺伝子の水平移動を紹介しましたが、それではどんな遺伝子が水平移動しやすいのでしょうか。一般的に云えば、RNA合成とそれに関係する機能に関わる遺伝子(リボソームRNAなど)は比較的伝達され難く、アミノ酸合成等に関係する遺伝子は伝達されやすい事が知られています。つまり、その生物としての根幹部分は変えず、部品としてより良いものが手に入ればそれを取ると云う仕組みです。

16.     栄養状況の悪くなった状況に陥った時に、一部の菌は死にます。その死んだ菌のDNAは周りの生き残った菌が取り込みます。もし、取り込んだ菌が持っていない遺伝子で且つその菌の生残に有利なDNAが取り込んだDNAに含まれていれば、その菌は直ちにその遺伝情報を利用して生き残れます。遺伝子の水平伝達は、その生物が変異を繰り返し環境に順化すると言う過程を、他人から遺伝子を奪うと言うことにより瞬時にして可能にする訳です。つまり、その生物に基本的な蛋白合成系は自分に保ちつつ、他人の良い所は取ってしまう、と言う機構がここにある訳です。

17.     しかし、やたらに水平伝達が起こっては、遺伝子構造自体めちゃくちゃになりますので、それを抑える機構もあります。DNAが細胞に入った場合、それが安定して存続するには染色体に組み込まれなければなりません。特別なシグナルが無い限り、組み込みには、DNAの塩基配列が似ている事が必要です。所謂、相同組換えと云われるもので、全ての生物にはこの機構があります。即ち、似た生物の間でしか効率のよい遺伝子の水平伝達は起こり得ないと言う事です。

18.     相同組換えは、ヒトの生殖細胞で自然に起こっている現象です。父親と母親の遺伝子が一体となり、シャッフルされ、生命に危機を及ぼす劣性遺伝子がhomozygous(2つの相同染色体上のある遺伝子座が同じ遺伝子型になる事)にならないようにしているのもこの機構によります。複数の遺伝子が関与していますが、大腸菌ではRecAという遺伝子が最も重要な遺伝子として知られております。相同組換えは、この様な意味でも重要ですが、上の遺伝子の水平伝達を考えますと、種としての存続の為に非常に重要な働きをしている事が分かります。つまり、自分に似ていない遺伝子は弾き飛ばすと言う役割です。

19.   「遺伝子が染色体に取り込まれるには、特別なシグナルが無い限り、相同性が必要」、と申しましたが、ここで「特別なシグナル」と言うのが、トランスポソンといわれるものです。ISとかTnとか云われるもので、特別な部位を選ぶことなく(つまり相同性が不要)染色体上にどこでも組み込まれる事が出来ます。もし、或る遺伝子が例えば二つのISに挟まれていれば、両端のISと一緒にその遺伝子は別の場所に移る事が出来ます。DNAとして別の菌に取り込まれれば当然、遺伝子の相同性を無視して、染色体に入り込み得ると言う事です。

20.     生物は折角相同組換えにより、めちゃくちゃな外来遺伝子の染色体への挿入を防いでいるのに、トランスポソンはこの防御を破っている事になります。つまり、トランスポソンは、遺伝子の我侭勝手を許し、種の存続すら危うくする訳です。しかし、そのリスクは、例えば抗生物質耐性を獲得するとか、新しい代謝系を獲得するとか、それを負う価値のある代償も呉れる訳です。生命は、保守と革新の相矛盾する機構のバランスの上で危うく、逞しく、保たれている事になります。

21.     上のようなことから、リボソームRNAに基礎を置く分類とは関係なく、自然での遺伝子水平伝達を考慮した、言い換えると、同じ遺伝子プールを共有する微生物のグループ分けが出来るという立場があります。同じような環境、例えば土壌微生物、海洋微生物のようなグループ分け、メタン利用菌と云った生理的な観点からのグループ分けです。このような集団の中では、自然状況で種を越えて遺伝子の水平伝達があり、集団として考えようと云うことです。(Science  2004、334-335)。

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VI 感染と発病

VI 感染と発病

1.       感染と発病とは必ずしも同じではありません。感染自体幾つかのステップから成りますが、そう云うステップを経て病原体が体の中で増殖しても病気になるとは限りません。少し、珍しいケースですが、感染と発病が独立した宿主遺伝子により決まると云うのを紹介しましょう。フレンド白血病ウイルスはマウスに赤芽球系の白血病を起こします。感受性にマウスの系統で違いがあり、白色のスイス系DDDマウスにはウイルス接種後10日位で発病させますが、黒色のC57BLには全く病気を起しません。これに関わる遺伝子支配を最初に報告したのが、当時伝染病研究所(医科研)におられた小高先生です。白血病感受性を支配する遺伝子の発見については説明を省略しますが、最終的に、ウイルスの感染増殖を支配する感受性が劣性形質のFv-1、赤芽球系白血病発病を支配する感受性形質が優性のFv-2の2つの遺伝子が関与し、DDD系マウスはFv-1s/sFv-2s/s、C57BLは Fv-2r/rFv-2r/r と云う複雑な実験系であったことが分かりました(sとrはそれぞれ感受性と抵抗性を指し、s/rは片方が感受性(s)、片方が抵抗性(r)を意味します)。更に面倒な事に、Fv-1の抵抗性は完全ではなく投与するウイルス量に依存する事も後で分かりました。この系で交配により Fv-1s/sFv-2r/rのマウスを得ますと、このマウスではウイルスは増えるが白血病は起こりません。つまり、ウイルスの感染感受性形質と発病形質は遺伝的に分離出来ると云う事です。これは、感染が病原体が体内に入り増殖すると云う現象であるのに対して、病気は病原体に対する宿主の反応により起こるからです。

2.       感染と発病について、全てのケースが遺伝的に決まるわけではありません。ヒトの免疫も含めた所謂抵抗力が関係します。ポリオは弛緩性麻痺を起しますが、このような症状を呈するのは、感染者の100人に1人位と云われています。つまり、1人ポリオの麻痺患者が居れば周りには100人位感染者がいると云う計算になります。天然痘でさえ、感染者の内発病するのは5割程度と云われています。HIVは恐らく感染者から発病に至る率の高い、つまり100%近い事で例外的な感染症です。HIV流行初期での対応を遅らせたのは、先に見つかっていた同じレトロウイルスである成人T細胞白血病ウイルス(HTLV-1)の発病率が1%位である事も重なった為ではないかと私は考えております。

3.       上の例の中で、HIVの場合他の感染症とは懸け離れて発病率が高いのは、HIVは生体防御で重要な免疫反応の中枢とも云うべきhelper T細胞に感染し、これを壊す事にあるのではないかと思われます。

4.       しかし、逆に、病原体を排除しようとする免疫反応が病気に繋がる場合もあります。LCM (Lymphocytic Choriomenigitis Virus)ウイルスを成育ラットに接種しますと免疫反応に起因する脳炎を起します。しかし、免疫系が未発達の胎児時期の感染では、脳炎は起こらず子ネズミは死にません。SARS流行の時に、同じ病院で周りに感染者が出たのにエイズ患者だけはSARS患者が出なかったのも、SARSの発病に何か免疫反応が関係していたのだと云う人もおります。

生体防御

5.       殆どの生物は(ウイルスを除き)自分に侵入する他の生物の脅威にさらされます。ヒトは寄生虫、カビ、細菌、ウイルス、により、寄生虫はカビ、細菌により、細菌はウイルスにより攻撃を受けます。

6.       海水1滴にはProchlorococcusと云う菌が2万疋もいて、それを上回る量のバクテリオファージがいると云う事です。この事は、細菌さえ自分を守る術を持たなければならないと云う事を示唆します。バクテリアはファージのレセプターを変異させるとか、外来のDNAを特異的に切断する制限酵素を持つとか、で身を守ります。

7.       ハエのような下等動物には病原体にあまり特異性のない防御反応をしますが、ほ乳動物になりますと、侵入した病原体に特異的な防御反応も示します。ハエでの感染防御に関わる遺伝子はTollといって、ハエの背と腹の分化を決める遺伝子芽関与していることが分かりました。初めは、この遺伝子の発生上の役割を調べる為に、つまり、発生のどの段階でこの遺伝子が効いてくるのか知る為に、適当な条件でこの遺伝子が発現しなくなるような組み替え変異のハエを作りました。成虫になれば、もう背と腹は決まっている訳ですから、成虫でこの遺伝子をノックアウトしても何事も無い筈ですが、皆カビに感染して死んでしまいました。ハエは感染によりdrosomycinと云う抗カビペプチドを作りますが、Toll遺伝子の機能が無くなるとこのペプチドを作らず感染死してしまう訳です。

8.       面白い事に、Toll遺伝子がマウスの感染防御に関係する遺伝子と相同性のある事が分かりました。これを切っ掛けに、細菌のLPSに特異的なToll-like-receptor(TLR)、鞭毛に特異的なTLR等、沢山の種類のTLRが動物の免疫系細胞に存在する事が見つかりました。TLRはT細胞に抗原を提示する樹状細胞にあり、例えば、LPSがその特異的な細胞表面のTLRに結合しますと、サイトカインを放出し、炎症や免疫反応が起こります。サイトカインを出す反応自体は、抗原に非特異ですので、原始的な生体防御反応と考えられています

自己と非自己

9.       生体防御に基本的な事は自己と非自己の区別です。その区別は、分子レベルで起こります。そのような自己識別に関わる分子は免疫的に識別出来ます。これを抗原と言います。

 

10.      ヒトの生体防御には、大きく、抗原に特異的なものと非特異的なものがあります。

11.     病原体に非特異的な生体防御としては、貪食細胞による食菌作用があります。貪食細胞は、TLRを介して活性化されるIL-1やTNFと云ったサイトカインにより活性化し、菌を飲み込んで殺すようになります。インターフェロンはやはりサイトカインの仲間で、2重鎖RNAにより誘導されmRNAの翻訳停止、或いは、崩壊を起します。補体は、C1からC9の複数の成分からなりますが、C6,7,8,9が菌の表面に重合し穴をあけ菌を殺します。又、C3bに被われた菌は容易に貪食細胞に食べられてしまいます。

12.     病原体に特異的な生体防御としては、液性免疫と細胞性免疫があります。この2つはヒトの生体防御の上で最も重要なものと考えて良いと思います。

13.     液性免疫は、B細胞と云う血液細胞が細胞外に出す抗体が病原体を直接認識しこれを不活化或いは殺すものです。しかし、病原体は細胞に潜り込み増殖する場合があります。ウイルス感染はその典型ですし、結核菌も細胞内で増え続けます。抗体は細胞の中に入りませんから液性抗体は無力です。そこで、病原体の増殖の場とでも言える感染細胞を潰してしまおう、と云うのが細胞障害性T細胞(CTL)による細胞免疫です。CTLは、細胞内で病原体蛋白が処理され出来た蛋白断片が感染細胞表面に出ているのを認識し、抗原特異的にこの細胞を殺します。

14.     この二つの免疫経路を支配しているのがCD4陽性ヘルパーT細胞です。従って、HIVはヘルパーT細胞に感染し破壊しますので将に生体防御の中枢を潰すと云う事になります。

15.     ここで、液性免疫と細胞免疫では、抗原の認識の仕方が違う事に注目して下さい。液性免疫では抗体は、病原体丸の侭で、その何処かを認識しますが、細胞性免疫では、CTLは感染細胞が適当に分解し細胞表面に提示した蛋白断片を認識しています、又、蛋白断片はただ細胞表面に出ているのではなくクラス1MHCという組織適合に関係ある分子により提示されている事も重要です。

16.     ところで、これらの種々の機能を持つ細胞はどのような分化の過程を経て出来たものなのか、T細胞にせよ、B細胞にせよ、夫々が、どのようにして抗原特異性を獲得するのか、外来の蛋白が体内に入ってどの細胞(主に樹状細胞)がその蛋白を認識し、どのようにしてその情報をT細胞或いはB細胞に伝達するのか、そもそもどのようにして樹状細胞とT或いはB細胞は広い体内で出会す事が出来るのか、細胞同士が引き付け合い相互作用を可能にする機構があるに違いありません。

下の図は、抗原特異性免疫反応を模式的に纏めたものです。

VII感染と発病(2).png

進化的分化

17.     免疫機構が世界中のありとあらゆる多様な抗原を認識出来るのは驚異です。どのような機構を介して多様性を可能にするのでしょう。胎児期からの発生の過程で、DNAの再配列、再配列過程で起こる変異により、多様なクローンが出現する事が分かりました。抗原刺激により、該当するクローンが特異的に増幅しますので、ランダムな変異と環境に適応した個体の選択的増殖と云う点で、生物の進化に似ていると云う人もいます。

18.     本題から外れますが、個体発生に於ける殆どの細胞の分化には、これとは対照的に極性が大きな役割をはたします。最初に、受精卵の僅かな不均一性、例えば、精子の侵入場所や僅かな卵の傾き(重力)などが原因で、分化に関わる蛋白の濃度勾配(極性)が出来、頭部と尾部、背と腹が決定されます。すると、その濃度に特異的な遺伝子の発現が誘導され、細胞分化が起こり、更に、細胞間の相互作用により、細胞の移動、死、機能分化を経て、個体になる訳です。

19.     つまり、体のかたちの始まりは、一種の偶然が決める受精卵の極性であり、免疫系細胞の方は、でたらめな変異と選択と云う過程で決まって行くと云う事になります。「でたらめ」或いは「偶々決まる」精子の侵入場所や卵の傾きは、生物を取り巻く一種のノイズと云えます。生命現象に於けるノイズは生命体に自由度を与え、その適応能に関与しているのかも知れません。

20.     つまり、免疫系細胞は、「行き当たりばったりを含むDNAの組み替えにより多様性を作り、環境(感染)に対応してその中の一つを増幅させる」と云う分化の選択をした訳です。このDNAの組み替えに関わる機構は実は、McClintockが発見したAc transposonの組み替えに機構が非常に良く似ていて、免疫細胞でのDNA組み替えの起原はtransposonにあり、遺伝子の水平伝達で獲得されたものではないか、といわれています。

21.     特異的免疫が遺伝子の水平伝達によると言う考えは、原索動物には免疫系の遺伝子再配列に関わるRAG遺伝子が見つからない事からも支持されています。即ち、ナメクジウオのような動物がこの組換えに関わる遺伝子を水平伝達により獲得し、脊椎動物となって、ヒトにもあるような免疫系の原基を作ったのではないか、と云うことです。

VII どうして感染症は流行るのか

VII どうして感染症は流行るのか

1.       2003年のSARS、翌年から2007年現在迄の鳥インフルエンザと感染症が新聞を賑わしました。今年はどうでしょうか。どうして、病気は流行るのでしょう。SARSのように流行る病気にも今まで聞いた事もなかったようなものもあれば、結核のように以前からあるのに、又、問題になるようなもの迄あります。このような問題を考えるには、病原体はどのような過程を経てヒトに感染し、病気を起こすかを考えなければなりません。

2.       微生物の感染による発病迄の過程は次のステップに分けて考える事が出来ます。即ち、病原体が宿主に(1)出会い、(2)体に侵入し、(3)体内で広がり、増殖し、(4)組織を障害し、発病に至ると云う過程です。それぞれのステップにおいて、我々の体は、病原体に対して防御機構を持っております。病原体の方は、このような防御機構を乗り越え次のステップに進もうとします。宿主の防御機構がどのステップでも菌に打ち勝てなかった場合、ヒトは病気になります。

3.       HIV(エイズウイルス)は、免疫機構を破壊します。そうすると、正常な免疫状態の人では病気の起こさないカリニ原虫、カンジダのような真菌、サイトメガロウイルスが病気を起こします。一方赤痢菌や腸チフス菌は元気な人でも感染し、発病させます。これは、これらの菌が宿主の防御機構をどんどん乗り越えて行ける性質を持つ為です。

4.       しかし、腸チフス菌のキャリアーのように、胆嚢で菌が増殖しているのに病気にならないケースもあります。本人はピンピンしていますが、周りに感染を広げます。このような人たちをどのように扱うのかは、人権とも絡み、大きな問題です。

病原体の自然史

5.       感染を感染経路で分けますと、接触感染、気道感染、経口感染(水系感染、食物感染、食中毒)、昆虫媒介感染、性感染、血液感染、母子感染等となります。

6.       性感染を起こす殆どの細菌やウイルスは血液感染や母子感染を起こします。胎児は胎盤を通じ母親から栄養の補給を受け、生殖器から血だらけで母親の体外に出て来る事を考えると、この事は容易に理解出来ます。又、何故性行為で伝染するのかと云うと、環境中で容易に感染性を失う為、密接な粘膜接触でないと人に移らない病原体だからです。

7.       逆に、皮膚の接触感染、気道感染、経口感染で伝播する病原体は空気中で感染性が失われません。実験室でのバイオハザード対策で特に考慮を要するのは、このような病原体です。特に乾燥に強い結核菌や天然痘ウイルスなどは厳重な取扱いが必要となります。

感染対策

8.       感染対策も感染経路で変わります。接触感染、気道感染は、人と人の接触をコントロールする必要があります。経口感染ですと、飲料水等の水の管理、食品、料理店の管理等になります。昆虫媒介感染症は昆虫や昆虫が吸血する動物が対象になります。マラリアが典型的な例です。日本脳炎はわが国で非常に数が少なくなりましたが(それでも年間数人の死者が出る)、これは脳炎ウイルスを持つブタを都市部から隔離し且つワクチン接種をした為と考えられています。

9.       血液感染は輸血又は血液製剤を介したものであれば供血者を選ぶ事と、製剤の工程に病原体を除く段階を入れる事が必要です。針刺し事故などで汚染血液に暴露された場合には予防投薬等があります。母子感染の一部は妊産婦検診で、予防投薬治療である程度対応出来ます。性感染は、人間の本能とプライバシーに関わる為対策は非常に困難です。エイズが我が国で増加し続けるのはこの様な事の為です。

10.     因みに、2003年のエイズ動向調査報告を見ますと、外国人を含め日本のエイズ感染症の8割が日本人男性で、その7割が同性間感染によるものです。しかも、20-30代の若い層で特に増加しております。増加が顕著になった時期が、電子媒体を介した出会い系サイトや合法ドラッグ販売サイト等が社会問題になり始めた頃と一致しております。

11.     接触感染は人と人が直接交渉を持つことにより拡がります。人と人を結ぶネットワークがあれば、それ自体は性行為とは関係のないものであっても、性的なネットワークとして利用されるでしょう。エイズは、ドラッグや出会い系のような一見性産業とは無関係nネットワークを通じて拡がっているのかも知れません。

病原体の根絶

12.     病原体が人のみを宿主とするのか或いは他の動物も宿主とするのかは、その病原体の制圧を考える時に重要です。人にしか感染しない病原体は人へのワクチン投与により撲滅可能です。天然痘は撲滅され、野生ポリオウイルスもアフリカとインド、パキスタンを除き報告が無くなりました。

13.     動物にも人にも感染する感染症を人畜共通伝染病と言いますが、そのコントロールは、必ずしも容易ではありません。欧州の狂犬病がその例です。ワクシニアウイルスに狂犬病ウイルスの表面抗原を組み込んだ経口生ワクチンを散布し、野生の狐等を免疫する事で成果を挙げていますが、撲滅は難しいでしょう。マラリア原虫は蚊が媒介するが、コントロールは非常に困難です。開発途上国での治水事業は農業開発、都市発展の維持に重要ですが、ダム、水路、水田などは蚊の温床となっています。

14.     最後にヒトや動物等の感染宿主の密度を考える必要があります。例えば、ポリオ根絶事業の中で気付いた事ですが、パプアニューギニアは予防接種率は50%そこそこですが、ポリオはほぼ完全にコントロールされています。人口が少なく、人に感染しても周りに次の感染対象がいない、と言った事であろうと思います。JICAが支援した中国ポリオ対策事業も、1990年頃の開始時には推定1万人を越える患者が出ていて、中国の人口と国土の広さを考えると不可能だと云われました。しかし、最後のポリオ患者が出てから輸入例を除き5年近く患者が出ていません。ワクチン接種事業の成功も一因ですが、私は一人っ子政策で、新生児人口が減ったのが、大きな要因ではないか、と考えています。

15.     人に流行する多くの伝染病は人口密集地で起こります。病原体の感染を抑えるワクチンは、その病原体に感受性の人口密度を減らします。すると、人口は多くとも、その中の感染する人口の割合は減り、感染が成立する確率が下がり、感染は拡がらないと言う事になります。

16.     根絶計画で使われたポリオワクチンは、病気は起こさないが感染し免疫を与える弱毒生ワクチンです。これは口から投与すると腸管で増殖し、腸管には感染防御抗体(IgA抗体)が分泌されるようになります。このワクチンの問題は、低頻度ですが遺伝子変異により病原性のウイルスに復帰することです。そのようなウイルスが感染を拡げますとワクチン由来の病原性ポリオウイルスの流行になります。中国でもこのような復帰株による小流行が見られ、ポリオ根絶計画が最終段階に入った現在、一つの大きな問題となっています。そこで、殺したウイルス(不活化ワクチン)を注射して、免疫しようと云う動きがあります。このワクチンはポリオ麻痺は防ぎますが、ポリオウイルスの増殖は抑えません。つまり、不活化ワクチンではポリオウイルス感染の拡がりを抑える事はできません。不活化ワクチンに切り替えた後、ポリオが流行した事例が過去にあり、難しい選択となっています。

17.     ワクチン接種事業には種々困難が伴います。ワクチン接種事業には金が掛かります。ある試算によりますと、大体10%位がワクチン代で残りは人件費その他のオペレーション費用と云う事です。途上国にワクチンを供与しても、接種に必要なワクチンの輸送保存、医師、看護婦などが確保されている訳ではありません。強引にやったとしても、その費用は何処かから捻り出され、その分他の処が手薄になっている訳です。

18.     ワクチン開発を考えて見ます。エイズのような性感染症になりますと、接種対象者をどう決めるかが問題になります。一般にワクチンの感染予防効果は100%迄到達しません。70%位の防御が良い処かも知れません。コンドーム装着の方が感染防止には確実でしょう。このようなワクチンをどう利用すれば良いでしょうか。経済的に困難な途上国の性産業に関わる人達でしょうか。我が国の若者の場合どう利用できるでしょうか。

19.     開発には莫大な金が掛かります。この費用は、薬価に反映されます。薬価は、企業の利益になりますが、企業利益なしには次の開発は不可能です。つまり、薬価は次の開発の為の担保とも云えます。ここで、問題となるのは、途上国にいる多くの患者はこの薬を買えない状況が出ます。薬価には開発費が当然入っていますから、開発費を差し引くと製造の値段は半分とか非常に低く設定出来ます。

安全注射

20.     もう一つの問題は、ワクチン投与経路に関わる問題です。ポリオ以外は全て非経口投与ですので、予防接種針を介した血液感染症の広がりの問題が常にあります。B型C型肝炎の蔓延は正にこれによるものと云われています。

21.     使い済みの注射筒、針の処理は途上国では大きな問題です。洗って、再利用する事は隠れて行われますし、廃棄或いは焼却は環境問題となっています。今後のワクチン対策の中で、微生物が分解するプラスチックの注射針、筒の開発、経口、経鼻などの粘膜ワクチンの開発は、途上国でのエイズ、肝炎ウイルスの拡がりを見ますと、最大課題ではないかと思います。

22.     最後に、二つ程、触れたいと思います。エボラ、ラッサ出血熱等の出現の問題とこれらの感染症の今後の予測の問題です。

23.     先ず、前の方の問題ですが、これは人口増加と人々の移動が関係しているのではないかと思います。エボラもラッサ熱も、恐らく野生動物の間で症状も起すことなく、平衡状態にあった所に、これらの病原体と接触のなかった人間が入り込んだ為では無いかと思います。ラッサ熱や米国のインデアン居住地区で流行したハンターンウイルスによる出血熱の病原体はげっ歯類と長く共存していたウイルスです。ヒトが藪に分け入り、食用にネズミを捕獲したりするのがラッサ熱の一つの切っ掛けと聞いておりますし、インデアン居住区の例は異常なドングリの収穫とそれに伴うネズミの大量発生が関係しているとされております。SARSも、急に変異でウイルスが出来たのではなく、中国の内陸部でそれなりに共存しつつ存在していたのが、沿岸部の経済発展に伴い、感染者或いは感染動物がこれらの地域に持ち込まれ認識されるに至ったのかもしれません。内戦は人の大規模な移動を伴います。難民は密集し伝染病の広がる絶好の場となるでしょう。

24.     次の問題は、新しく出現した感染症の今後です。一般に、感染症は出現してから次第に毒力を失うと云われております。例えば、腸チフスですと、終戦直後は、フレキシネリ菌と言う病原性の高い菌が流行しましたが、現在は症状も穏やかなソンネ菌が主流です。梅毒は中世においては急性の致死性感染症を起したと云われていますが、現在では激烈な症状は稀です。

25.     有名な実験的観察があります。オーストラリアは1859年に、狩猟目的にヨーロッパのウサギを導入し、野に放ちました。天敵が居ないので瞬く間に増殖し、ペストとなった訳です。そこでウサギ駆除の為にmyxomavirusというウサギのポックスウイルスを導入しました。このウイルスは蚊が媒介しますが、最初の年は絶大な効果がありました。所が、次の年から急に効果が無くなります。これは、導入時のウイルスはウサギを100%近く殺したのですが、2年目には致死率が25%に減り、結局、より症状の軽いウイルスとより抵抗性の高いウサギ共の出現により、ウサギが増え始めました。ウイルスと云えども自分が増殖するには宿主がいなければ困るので致死性を下げるのが種の保存には利益となる、片や、ウサギの方も死んだのは弱いウサギで遺伝的に丈夫なのが残る、という話です。要するに病原体と宿主が、感染を繰り返す内に、何れは平衡に至ると云う考えです。

26.     では、HIVについても、このような事が成り立つか、ということになります。Ewaldは、それは状況による、むしろ病原性が高まる事もあり得ると言う考えを出しました。病原体の立場で考えて見ますと、感染の機会が少なければ、次の感染機会迄、宿主を生かしておく必要があるので、弱毒化する方が有利である。しかし、エイズの場合のように人間が性欲に任せウイルスが次の宿主に移る機会を増やしているような病原体にとっては、より強毒となり、増殖率を上げる方が、維持に有利である。即ち、エイズウイルスは人が感染の機会を増やす限りより強毒になるであろう、と云う考えです。同性愛者が政治的にも実行為にも活発な活動をしたカリフォルニアでエイズが流行が特に顕著であった事はこの説を裏付けるものかも知れません。そうであれば、今アフリカで流行しているエイズはどんどん劇症のものに変わって行くと思われます。

VIII 遺伝子工学と安全性

VIII 遺伝子工学と安全性

1.       遺伝子工学、バイオテクノロジーの安全性の問題は、この技術に伴う本当のリスクの話と、市民が感じる(perceived)リスクの二つの話になろうかと思います。先ず、市民の感じるリスクの話、次に本当のリスクの話をしようと思います。

2.       わたしは、つい最近迄国立感染症研究所と云う所の所長をしておりました。この研究所は、そもそもは昔の東京大学伝染病研究所から国立予防衛生研究所として分かれて出来たものです。第二次世界大戦が終わり進駐軍が入り、GHQの指導のもとに出来た研究所です。伝染病研究所ではワクチン製造とワクチン検定の両方をやって居りましたので、自分で製造し自分で検定/品質管理をするのは国のワクチン安全確保上制度的問題がある、と云う訳です。

3.       製造と品質管理保障を分けることは、世界の殆どの国で行われており、これは当然の事ですが、財的人的資源の少ない途上国では分離出来ず、WHOの査察で指摘され、JICA援助等でも問題の起こる所です。

4.       それは兎も角、国立予防衛生研究所(予研)は1992年に現在の新宿に移って参りました。ここから、予研は長い裁判闘争に巻き込まれる事になります。住宅密集地の中に危険病原体を扱うP3施設を持った研究所が移転して来るのは住民の健康被害を齎す、と云った議論であったと思います。最初はP3を直ちには稼動させない、と云った協約を結び、先ず実験室を稼働させました。周りの住民の方々と安全連絡協議会を作り、定期的に研究所の中で会合を持ち、研究所のRI、P3施設の稼動状況、動物の出入りの数、実験内容、排気、廃水施設の点検記録等を提示したりしましたが、現在も続いております。

5.       しかし、裁判の方は継続し、地方裁判所、控訴して高等裁判所、10年を超え、最高裁で結審しました。最初は、病原体の話しが主でしたが、段々に、原告側は組み換え生物を問題にするようになりました。カルタヘナ条約とか組み換え食品まで、陳述に入るようになって来て、原告者名簿にもその関係の方々が名を列ねるようになりました。移転問題は、次第に、バイオテクノロジーの安全性議論に次第に変質して行きました。

6.       このような変化は去る10年間に起きた主に組替え食品を巡るヨーロッパを中心とした反対運動と関係があるかも知れません。病原体や組み替え体が「核」と同列に国内だけでなく国外で話され、DNA組み替えが可能となった1970年代半ばの議論が完全に復活し、当時の1年程度のケンブリッジのP3/P4実験のモラトリアムが今もそのまま続いているかのような話しになりました。組み替え食品の議論に、HIV汚染血液製剤や狂牛病、果てはスリ−マイル島迄が引き合いに出されたりした訳です。HIVや狂牛病を引き金に、「科学は十分信頼出来ない」と云う主張が社会に拡がりました。フランスでは、科学者がこの状況を問題とし、改築中の博物館で毎日一年間全部で366回(その年は閏年)市民との対話を中心にした会合をやりました。第一回はF. Jacobで、私が偶々出た時は人口受精と組み替え植物をやっていて、大変愉しみました。

7.       世間話をしましたが、ここにはバイオテクノロジーが現在関わらされている殆どの問題が出て参ります。則ち、一つはテクノロジーそのものの安全性の問題、それより大きい問題として、一般の人達の微生物と云う眼に見えないものへの漠然とした恐怖心、組み替えDNA技術と云う自然界では殆ど起こらないと事を可能にするとされる技術への不信です。特に組替え技術を食品に適用された時、食品と云う毎日食べているもの、食文化と云う伝統のあるものに利用された「怪しからん」と云う感情、これらを社会運動、政治に利用しようとする人々、それから起こる軋轢を報道或いは解説して生きる人々、その渦中にある研究者の時として問題になる対応、そして、究極的には、バイオテクノロジーの危険性とは何か、何によって危険性を判断するのか、誰が判断に責任を持つのか、裁判官が出来るのか、社会的に合意が得られない状況で、研究者はどうすれば良いのか、行政の判断はどうなのか、等々です。

8.       一度落ち着いていた組み換え食品安全問題が何故10年近くして又盛り上がったのかは考える余地があります。私は、幾つかの要因はあると思いますが、大きな原因は社会経済全ての面でのグローバル化、地域社会・文化の存続の危うさ(例えば、マクドナルド化による地域固有の食文化への脅威)、貿易自由化、先進国の農業補助金、農業補助金と密接な関係のある食糧援助、等であろうかと思います。

9.       このような背景の中で、多国籍大企業が、先ず、種子会社と製薬会社との統合を繰り返しつつ、特許を盾に、組み換え作物を中心に戦略的に世界の農業支配を企てました。この時期は、バイオテクノロジーの無限の経済的効果が唱えられ、国家戦略とまでなった時代です。米国では、伝統的に、農作物の開発が特許ベースに進んだ事もあり、例えば、プロビタミンA発現米については、遂に70以上の特許が関係し32の特許所有者がいる有様になりました。研究の自由な発展を阻害する結果ともなり、問題となる状況との認識が高まりました。

一方、消費者達の組み換え食品への疑義に対しては、企業は、「これは、科学的に、非組替えと実質的同等である。故に、安全だ。科学的に安全だと分かっているのに何をごたごた云うのだ。科学的な議論を否定するのか」と云った反応をした訳です。結局は、この様な反応は、傲慢な対応として受け取られ、事柄を面倒にしました。開発側も自らの対応の不適切さを認めましたが、中々修復は難しいように思います。

又、丁度これに先立ち、エイズが発生し、血液製剤による感染が世界で発生しました。追い打ちを掛けるように狂牛病が発生しました。何れも、科学者が予期しなかった状況であったと思います。

10.     組み換え食品を弁護する側の企業の論理は、「科学は誤りを犯さない」と云う社会の(誤った)理解を利用したものでしたが、BSEやAIDSの事件から、反対運動者は、「科学は間違える。故に、科学的と云う議論はまやかしである」と云う議論を致しました。

11.     科学では、通説となっている事、常識を疑る事から、新たな真実に到達します。しかし、「後になって分かる本当の新発見」も、科学に於ける「疑る」と云う作業から免れる訳には行きません。HIVの場合でも、「初めから自分は血液製剤の危険性に気付いていた」と云う事を研究者が裁判で証言しておりましたが、私自身は、成人T細胞白血病ウイルスの親戚のようなものがこれ程の発病率と死亡をもたらすとは予想しておりませんでした。BSEについても同じです。即ち、「科学は全てに疑念を持つ」言う性質故に、革新性と保守性、双方を備えている訳です。

12.     話しが少し逸れましたので、この辺りで、バイオテクノロジーの安全性と言う本題に入ろうと思います。我が国では、何れかと云えば、Biotechnologyは狭い意味での「組み換えDNA技術」を指しますが、国際的には日本で云うバイオサイエンス或いはライフサイエンスに近い使い方をしているようです。これも、欧州で、組み換えDNA技術は従来の技術と本質的に変わらないと云う事を前面に出す為に、次第に定義の内容が拡がったのだと云う人もおります。

13.     狭い意味でのBiotechnology、遺伝子組み換え技術に関わる安全性議論は、1973年に米国で種を越える遺伝子組み換えが成功し、研究者がこの技術の持つリスクを指摘した時に始まります。第一回Asilomar会議(1975)が開かれ、1976年にはNIHガイドラインが出されました。このように、組み換えDNA技術の安全性議論は、初めは完全に科学研究の場にあった訳です。しかし、安全性議論は、次第に変貌を遂げて行きます。

14.     先ず、このNIHガイドラインの出る直前、米国マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大学が組み換えDNA実験室を建設しようとしたのに対して、ケンブリッジ議会がP3及びP4実験室稼働の一時的(3ヶ月を2回)差し止めました(D.S. Fredrickson, The Recombinant DNA controversy, ASM Press, 2001)。

<注>ケンブリッジに於けるモラトリアムについて

1976年6月、NIHガイドラインが出る1週間前、ハーバード大学の学長が古い生物研究棟4階の2部屋をP3実験室にする事を認可する公表した。これに対し、ケンブリッジ市議会は直ちに公聴会を開き、結果、ケンブリッジではP3及びP4実験を3ヶ月間行わない事とし、同時にケンブリッジ実験審査委員会(Cambridge Experimental Review Board, CERB)を発足させた。CERBの議論は3ヶ月で終わらず、この為、市議会は更に3ヶ月の実験開始時期の延長を求めた。1977年1月、市議会は、「ケンブリッジ市における組み換えDNA実験に関する条例」を定め、同時に組み換え実験の開始を可能とした。条例は、実験のNIHガイドライン厳守、全職員の実験訓練の義務付けと健康モニタリング、並びに、研究所のバイオハザード委員会への実験室の技師及び市の代表の参加を定めた。委員会メンバーは、NIHガイドラインを一部の科学者も及ばない程理解し、このようなプロセスに十分な市民として能力を発揮出来る事を示したと云う。この事件は、ハーバードの様な権威のある処でも地域社会との関係についてはより注意深くあるべき事、同時に、国が一般社会の関わる科学的問題を限られた権限で解決しようとしても限界がある事を示した点で注目される(D. S. Fredrickson: The Recombinant DNA Controversy, ASM Press, 2001)。

15.     バイオテクノロジーの歴史を、Torgersen等(Biotechnology, The Making of a Global Controversy ed. By MW Bauer &G Gaskell)は、安全性議論の主要論点から、1973年に始まる科学的議論、1978年からの競争的技術論、それへの疑念/抵抗、これらを解決する為の行政対応、1990年EU統合の影響、1996年以後の消費者反対運動、この4つの相に分けております。「からの」としているのは、各時代で始まった論点が存続し続けているからです。EU統合はEUの中での経済障壁を無くする事が目的であり、その為には、組み換え技術についてもEU共通のルールを作成する必要がありました。結果、組み換え技術に関するEU指令は、種々の影響を及ぼしました。一つは、組み換え技術後進国がこの議論を始め、規制を導入した事です。種々の議論が起こり、倫理や環境問題にも目が向いて行く事になります。しかし、同時に、技術後進国でも組替え技術が使われる切っ掛けともなりました。

16.     環境について云えば、1992年のRio Earth Summitが契機となった生物多様性条約に付随するLiving Modified Organismに関わるカルタヘナ議定書が策定されました。我が国は、2003年から作業を開始し、カルタヘナ議定書国内担保法を制定しました。カルタヘナ議定書がLMOを対象とした事から、それまでの「組み換え実験指針」を当該法の下に省令、施行令、通達等の形で置く事となりました。

17.     この事は、組み換え実験への対処を根本的に変える事となりました。以前の組み換え指針では、安全性はヒトへの安全性を基準にしていた訳です。しかし、今後は、寧ろ、生物多様性の観点が主になりました。法の対象は、カルタヘナ議定書の定義「自然の障壁を越える遺伝子交換」となります。安全性の方は、「ヒト健康へのリスクも考慮し」と云う、副詞句の形で入っており、主分節は、「生物多様性の保全及び持続可能な利用に悪影響を及ぼす可能性のある、モダンバイオテクノロジーにより得られたLMOの安全な移送、取り扱い及び利用の分野において(副詞句)、特に国境をこえる移動に焦点をおいて、適当な保護水準の確保に寄与することを目的とする」となっております。

<註>カルタヘナ議定書と生物多様性条約

1993年に発効した生物多様性条約(Convention on Biological Diversity、略してCBD)の直接の切っ掛けは、1992年に所謂リオ地球サミット(UN Conference on Environment and Development、略してUNCED)である。

CBD締結への議論の中で、世界の生物多様性資源の5分の4を保有する開発途上国が交渉上の立場を有利にし、その生物資源に対する主権を主張する立場となった。結果、生物多様性の「保持」のみを目的とする条約にしようとする大国の目論みにも拘わらず、CBDは環境保護を超え、生物遺伝資源からの利益の配分を扱う事となり、同時に、環境条約に止まらず、知的財産権、通商、テクノロジー、人の健康、文化に迄関わる条約となった。

組み替え生物(living modified organism、略してLMO)の国際間移送(食品及び飼料用農産物の貿易も含む)を法的に拘束するカルタヘナ議定書(Cartagena Protocol on Biosafety)がCBDの下に出来たのは、このような文脈に於いてである。CBDでは、特に、その第16条技術の取得の機会及び移転、19条バイオテクノロジーの取り扱い及び利益の配分、がバイオテクノロジーを取り上げている。

18.     一方、組み換えDNA技術が可能にしたヒトゲノムを含むゲノム研究の進展は、ゲノム情報の利用を巡る倫理の問題を提起しました。又、体細胞クローンがBiotechnologyに関わる倫理の問題として提起されている状況です。現在、Biotechnologyの安全性は科学の中に止まらず、地球環境、社会倫理、EU経済統合や組み換え食品議論のような通商問題、に関わり議論される状況にあります。本年3月にはOECDの遺伝子データベースに関わるprivacy and securityのワークショップが東京で開かれましたが、この問題は、現在、個人情報保護法の関係から各省庁で議論されているところです。

19.     最後に、遺伝子組み換え技術により、本当に危険な微生物が出来るのかと云う疑問が出ると思います。2001年のJournal of Virology (75, 1205-1210)に、poxivirus であるEctromelia virus(マウスポックスとも云う)ウイルスに、マウスのIL-4を導入すると、病原性が著しく高まると云う論文がでました。本来このウイルスで発病しない系統のマウスが感受性マウス並みにバタバタと死に、免疫しておいた抵抗性マウス迄が致死率の高い激症感染を示すようになった訳です。IL-4を導入したウイルスは、非組替えウイルスのようなNK及びCTL反応、インターフェロンγの発現がありませんでした。詰まり、IL-4がこれらのサイトカインの発現を抑えたと考えられます。又、免疫マウスにも強い病原性を示したことからウイルスのコードするIL-4は初期抗ウイルス反応だけでなく免疫のメモリーレスポンスも阻害したと云う事になります。

20.     使ったウイルスが天然痘ウイルスと同じpoxvirus である事から、例えば、ワクシニアウイルスにこのような遺伝子を導入すれば天然痘並みの強力なウイルスが出来るかも知れない、そのような懸念が出された訳です。

現在のWHO safety manualには、遺伝子挿入により害が生じるかも知れない遺伝子として、毒素の他に、cytokines, hormones, gene expression regulators, virulence factors and enhancers, antibiotic resistances, allergensが挙げられております。

21.     サイトカインなどは動物が本来持っている遺伝子であり、そのような遺伝子をウイルスに入れれば、寧ろ、初期感染への生体反応がより早くなると考えたのかも知れません。この実験は、組換え実験の安全性を考える上で、一つの教訓になったように思います。細菌感染でショックが起き死に至るケースがありますが、考えてみると、正常な遺伝子の過剰発現の結果に過ぎません。生理活性を持つ遺伝子の導入については今後も十分な注意が必要であろうと思います。特に、その発現量には注意する必要があるでしょう。

22.     バイオテクノロジーの生物兵器への応用は各国が最も神経を尖らせている所であろうと思います。問題は、マウスポックスとIL4の組み合わせのように、思いがけないかたちで、その可能性が出て来得る事です。このような場合に研究成果を公表すべきかどうか、と言う問題が出て参ります。科学に於いては、誰かが、何時か、必ず、真実を明らかにします。即ち、一時的な研究発表の発表差し止めは、安全保障とはならないのではないか、と思います。公表する事により、その危険性を知らせる事が最終的には安全に繋がるのではないか、と言うのが私の当面の考えであります。

IX 組み替え食品の安全評価の考え方

IX 組み替え食品の安全評価の考え方

1.   組み替え食品に於ける意図しない毒性物質の発現が懸念され、コーデックスの組み替え食品の指針でもここに大きなスペースを割いています。

2.   現在開発されている食品用組み換え植物に限って話を進めます。遺伝子を導入しますと、その遺伝子が蛋白を発現します。そこで、どんなリスクがあるかを考えて見ましょう。一つは導入した遺伝子にコードされる蛋白そのものの毒性、もう一つは、この蛋白が酵素の場合、その酵素により触媒される代謝経路の変化です。遺伝子挿入による宿主の何処かの遺伝子が潰される等の変化(後で触れます)を除くと、考えられるリスクはこれ以上ありません。

3.   前者については、発現した蛋白質自体の毒性評価(アレルギー評価も含む)でリスクを評価出来ます。言い換えると、人に毒性のある蛋白を食用植物に発現させる事をしなければ、発現蛋白自体による余分なリスクは出ない筈です。しかし、後者の方はそう簡単ではありません。実際、毒物の代謝経路を遺伝情報として持たない植物は存在しないと云って良いでしょう。植物は動物のように逃げる事が出来ないので、毒物を持つ事により自分を食った動物の健康を損なわせ殺す事で身を守っているからです。

4.   我々が食べている植物の育種は、このような毒性物質の低いものの選択の過程であったと云っても良い位です。無論、環境変化への強さや収量の多さは育種の際考えるべき大きな因子ですが、先ずは食べられるものでなくてはならなかった筈です。

5.   現在食用に栽培されている植物もその代謝経路を何らか残しております。育種の過程で毒性物質の発現が高くなる事は良く経験されています。組み換え植物の場合でも、導入蛋白に植物内で酵素活性がある場合、植物の代謝経路は複雑なネットワークをなしていますので、思いがけない代謝産物が増加したり減少したりすします。増加した代謝産物に毒性があればその組み替え植物は毒になる訳です。プロビタミンAを強化したゴールデンライスの開発過程では、酵素遺伝子の導入により望ましくない代謝産物の蓄積が認められ改良が重ねられました。しかし、今迄の説明で分かるように、植物に既にある代謝経路への影響ですので、全く植物が持っていなかった新物質が出来る筈はありません。繰り返しになりますが、今説明した事は従来の交配でも経験された事です。

6.       新品種はワンステップでは出来ません。組み換え植物はDNAを植物に入れて一丁出来上がりとは行きません。大量の植物細胞にDNAを導入します。植物の重要な遺伝子の中に入れば、その細胞は死ぬか、植物として成長しません。遺伝子を導入して無事植物体になりますと、その中から次の開発の為の候補者が選ばれます。次に、これら候補者は、毒性を含め、種々の特性をチェックされながら、最後に一つ残されます。捨てがたい性質を持ったものが複数いればそれらも保存される事があります(これらは、或る一つの遺伝子導入に由来するので、イベントと云い、開発者はこのようなものを次の開発の為に多く所有しているようです)。よく、遺伝子が染色体にでたらめに入るから何が起こっているか分からないと云うような事が云われますが、実際は「あたり処の悪かった」ものはそもそも選抜に残れない、と云うのが現実であろうと思います。

7.       商業生産するには、開発者は最も良さそうな一つのイベントを選び、コーデックスの組み換え植物の指針に沿って試験します。この指針の原則はfood safety assessmentと云われます。添加物や農薬等は動物に大量に食わせてその無毒量を算出しそれを100等の係数で割って許容量を計算しますが、組み換え食品を死ぬ迄大量に食わせるのはそもそも不可能です。そこで、従来植物食品でも何らかの毒性物質があったり、又、大量に食べれば糖尿病とか色んな病気になったりする事も考慮して、組み換え植物は組み換え前の植物(conventional counterpart)と安全性に関し比較する事によって判断する事を原則としました。これが上にのべたfood safety assessmentです(これは始めOECDがsubstantial equivalence for safetyとして提唱されました)。このような手法により開発者が安全評価を行った品種は、政府機関(日本の場合食品安全委員会)により精査され、認可されれば、初めて市場に出ると云う事になります。

植物と動物の栄養代謝の違い

8.       組み換え植物に加え組み換え動物も食品として開発される動きにあります。そこで、動物と植物の代謝の違いを見ておくのも必要です。先ず、植物は、水、炭酸ガス、窒素、酸素及びその他の無機物より太陽光線を利用し、炭水化物、脂肪、蛋白質等の有機物質を作ります。動物には、炭水化物、脂肪、蛋白質等を作る(synthesis)能力はありません。植物の作ったこれらの養分を利用して生活しています。

XI取組み換え食品.png

動物の物質代謝

9.       動物の消化管内では、炭水化物は消化酵素により単糖(主にグルコース)に、蛋白質はアミノ酸に分解されます。吸収されたアミノ酸は、直接或は他のアミノ酸に変換された後、蛋白合成に(一部はグルコースや脂肪酸生成にも)利用されます。動物体内で他の物質から作られないアミノ酸は、飼料として摂取する必要があり、これを必須アミノ酸と云います。必須とされるアミノ酸は魚、ほ乳動物共通です。必須でないアミノ酸は、他のアミノ酸から変換されるか、或は、糖代謝の過程で生成されています。

10.     糖が単糖として吸収されますと、エネルギー産生やアミノ酸合成に利用され、余剰部分はグリコゲンとして肝臓等に、更なる余剰部分は脂肪に転換され貯蔵されます。炭水化物は、植物乾燥重量の3/4程度を占めますが、動物ではグリコゲン等の形で存在するのみで、全量(水を含む)の1%以下です。

11.     脂肪は、小腸でリパーゼ等の酵素により脂肪酸に分解され胆汁の助けにより吸収され、そのまま蓄積あるいはエネルギー源として使われます。脂肪には動物体組織の重要成分になるものがありますが、その中に動物体内で炭水化物や油脂から生成されないものがあり、必須脂肪酸と呼ばれます。即ち、リノール酸、リノレン酸です。アラキドン酸はリノール酸からの合成が多くの動物で可能ですが、肉食動物の猫ではこの反応を触媒する酵素が無いのでアラキドン酸として摂取する必要があります。即ち、猫類は菜食主義者にはなれません。

12.     蛋白質、炭水化物、脂肪の他に、微量必要な成分としてビタミンとミネラルがあります。牛、ヤギ等の反芻類は前胃を持ち、その中での微生物発酵により必須アミノ酸を含むアミノ酸合成、必須脂肪酸を含む脂肪酸合成、少なくとも一部のビタミン合成を行っているので、反芻動物は、そのような栄養素を飼料に加える事を必要としません。

植物の物質代謝と動物の物質代謝の比較

13.     植物では、蛋白質、炭水化物、及び脂質の合成素材は、水、炭酸ガス、窒素(窒素固定菌又は肥料由来のアンモニア等)酸素です。このような合成を可能にするものは光合成です。これに対し、動物では、腸管の中で、植物の蛋白質をアミノ酸、炭水化物を単糖、脂質を脂肪酸に一旦分解し(脂肪酸には必須脂肪酸のように直接利用されるものもある)吸収した後、単糖を分解し得られたエネルギーを利用し、植物由来アミノ酸の並び変えにより動物固有の蛋白質へ、脂肪酸を動物固有の脂質にリモデリングしている訳です。

14.     動物はビタミンを必要としますが、元来ビタミンは植物又は腸内微生物に由来する代謝産物(ビタミンAやビタミンDは夫々植物のカロテンやエルゴステリンが動物体内で変換され出来たもの)です。

15.     植物又は微生物の代謝産物は、一次代謝産物primary metabolitesと二次代謝産物secondary metabolitesに分けられます。一次代謝産物とは全ての植物に共通して存在し、植物に基本的なものです。これに対し二次代謝産物は、植物の成長や発育に関わらないもので、植物毒のように動物から身を守る為、色素や香料のように昆虫を惹き付け生殖に役立てるもの等です。つまり、育種で問題にはる植物の毒性は2次代謝産物によるものです。動物には炭水化物、アミノ酸、脂質を直接合成する代謝経路がありませんので二次代謝系に対応するものは存在しません。従って、組み替え動物では植物のような育種過程での毒性物質の問題は起こりません。動物の毒は次に述べるように全て(僅かの例外がある)植物や微生物から由来したものです。ふぐ毒や貝毒は共生微生物が産生する毒素が肝臓卵巣等に蓄積したものです。植物の二次代謝産物由来の毒物のように体内の複雑な合成経路を経て産生されたものはありません。このように考えますと、組み替え動物の食品としての安全性の考え方はむしろ植物よりも単純と云えます。又、脊椎動物は統樹でも分かるように遺伝的生理的性質を共有しているため、動物に悪いものは人にも悪い訳で、厳密な意味での健康は、動物食品の安全性の重要な指標と云えます。BSEは一応プリオン感染によるとされていますし、貝やふぐの毒は動物自体の遺伝子の産物ではありません。

X 感染症法と感染症対策

X 感染症法と感染症対策

感染症法

1.       感染症に関する最初の法律は、明治30年の伝染病予防法です。この法律が改正されたのが平成10年の「予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(平成10年10月2日法律代114号)ですので、実に100年間も変わらなかった訳です。この法律と伝染病予防法との大きな違いは、患者の人権擁護並びに伝染病予防法のように特定感染症を取り上げ法の対象にするのではなく、感染症を広く類型化し、一から四類に仕分け(一類は出血熱など危険度の高いもので、二、三、四とその度合いが下がる)、夫々について適切な対処法を決めると云う点です。

2.       しかし、この法律が施行されてから、暫くして、感染症に関わる種々の事件が起こりました。則ち、1999年に米国で拡がったウエストナイル熱、2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センターテロ直後の炭疽菌テロ事件、2003年の広東省に始まったSARS流行等です。又、ペットとして輸入されていた米国のプレリードッグのペスト流行、米国のげっ歯類のサルポックス感染の問題などが出ました。

3.       感染症法は当初より5年後の見直しを予定しておりましたので、このような事件で出た問題を踏まえ、平成15年(2003年)この改定を行いました。改定の内容は、(1) 緊急時における国内感染症対策の強化、(2) 動物由来感染症対策の強化、(3) 感染症法の対象疾病及び疾病分類の見直しです。対象疾病の見直しに於いては、従来の四類感染症を新四類と新五類に分けました。即ち、人畜共通伝染病に該当する感染症を新四類感染症とし、媒介動物の輸入規制や消毒、ねずみ駆除等の措置が行えるようにしました。これには、輸入ペット動物、プレーリードッグのペスト、愛玩用げっ歯動物やサルのサル痘事件が米国で起こり、輸入動物の危険性が認識された事、等です。又、テロが強く意識され、根絶された天然痘が第1類感染症として復活しました。これには、旧ソビエトの崩壊に伴い、ロシアの研究室からの流出が疑われた状況があります。

4.       検疫法の見直しも同時に行われ、検疫所長が検疫感染症の病原体に感染したおそれのある者に対して、入国後の居所、連絡先の報告を求め、一定期間、体温などの健康状態の報告を求めることとしました。検疫感染症として出血熱等の「国内に常在しない感染症のうちその病原体が国内に侵入するためその病原体の有無に関する検査が必要なものとして政令で定めるもの」が対象となりました。又、外国に新感染症が発生した場合に、「検疫所長は、検疫官をして当該診察を行わせることができる」、「診察を拒み、妨げ、又は忌避した者」を罰則対象としました。更に、「感染したおそれのある者で停留されないものに対し、当該者の国内に於ける居所、連絡先及び氏名並びに旅行の日程その他の厚生労働省令で定める事項について報告を求め、動向の規定により定めた期間内において体温その他の健康状態について報告を求め、もしくは質問を行い、又は検疫官をしてこれらを行わせることができ」、検疫所長は異状を認めた場合当該者に関して都道府県知事に通知しなければならないとしました。より、社会防衛を重視した事になります。

5.       その後、上に触れたバイオテロについては、世界的にその対策の必要性が叫ばれ、米国はいわゆるバイオテロ法(英文頭文字をとりPATRIOT法とも呼ばれる)を制定し、バイオテロに使用される可能性のある特定病原体・毒素を指定し、その保有、使用、国内外への移動・譲渡に厳しい制限を掛けました。

6.       我が国でもこのような国際的な動きを受け、2007年に、感染症法を改正しました(「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律等の一部を改正する法律」、以後「改正感染症法」と略称)。面白いのは、米国、英国等は、テロ防止に特化した法律を作ったのに対して、我が国は感染症法で対処した事です。感染症法は患者を対象とし、バイオテロ対策は病原体を対象としますので、内容的には異質なものを含む法律となりますが、一方WHOは感染症対策の中でテロ問題を取り扱う立場を取っていますので、これに沿った手法とも云えます。

7.       2007年の感染症法で大きく変わった点は、病原体管理に関する規定が新たに創設されたことですが、同時に、結核予防法を感染症法に統合した点です。病原体管理対象となるのは「特殊病原体(毒素も含まれる)」を指定し、第一種(天然痘、エボラ等出血熱)、第二種(SARSウイルス、炭疽菌、野兎病菌、ペスト、ボトリヌス菌及び毒素)、第三種(多剤耐性結核菌、狂犬病ウイルス等)、第四種(赤痢菌、チフス菌等)と分類し、種別に応じた所有使用等の制限を掛けました。即ち、感染症としては一から五類、病原体としては一から四種に分かれる事になります(表参照)。

8.       第一から三種病原体迄は、所持、輸入に関する法規制があり、第一種は政府に指定された機関以外は所有が禁止されています(第二種は事前承認、第三種は所持7日以内の届け出義務)。第四種に所持規制こそありませんが、施設基準、保管、報告聴取、立ち入り検査等の規制があり、全て罰則が適用されます。

9.       バイオテロ対策としてのバイオセキュリテイは、原則的に病原体の移動、検査を含めた使用を制限するものです。しかし、感染症予防には迅速な病原体の適切な検査機関への輸送と検査が必要です。即ち、バイオセキュリテイと公衆衛生対策には基本的に相容れない処があります。この事は、今後の法施行の上で十分考えて置く必要があると思います。

<注>実際、米国では、バイオテロ法施行規制により種々の事件が派生しました。国際的に知られたペストの専門家テキサス工科大学のThomas Butlerは、実験室からペスト菌の入ったバイアルの紛失を大学に届け出た処、通報で60人の捜査官が送られ、「過去に破棄した事を証明出来ないので、紛失届けを出した」と供述した時点で逮捕されました。 裁判では、大学との契約に関する不法行為と偽証(Butlerの曖昧な記憶に基づく返事が偽証とされた)が加算され、469年の監獄生活と1700万ドルの罰金が求刑されました。テキサスの法廷は、海外輸送の不法行為に関する検察の主張のみを取り上げ他は無罪とし、2年の実刑と500万ドルの刑が言い渡した。この際の海外輸送の不法行為とは、タンザニア由来の実験室試料をただ一度だけタンザニアに速達で送ったと云う事だけです。デラウエアー大学の研究者が、サウジアラビア家禽会社の職員から施設で流行した鳥インフルエンザウイルスの血清型判定を依頼され、会社と一緒にワクチン開発をした事に関するもので、不法なウイルスの受け入れを理由に訴えられ、25万ドルの罰金と6ヶ月の自宅禁固となったケースがあります。法の適用によっては我が国でも有り得る事件です。

社会防衛と人権

10.     ここで、感染症法成立時に大きく取り上げられた社会防衛と人権の問題に触れたいと思います。SARS流行では、中国をはじめ色々な国で、患者或いは接触者が隔離され、病院の窓から人が逃げ出す映像がテレビで流されました。SARSに感染した台湾の医師が近畿地方を旅行した時には、いつもは人権擁護を主張するメデイアは強硬措置を主張し、中国のこのような状況に対する人権の面からのコメントもしなかったように思います。

11.     染症法成立時、「らい予防法」或いは「エイズ予防法」で人権擁護が問題にされた事をもう一度思い出し、社会防衛と人権擁護の問題を、良く考えておく必要があると思います。心配するのは、日本の社会は、感染症に関し人権と社会防衛との間にはそもそも緊張した関係がある事を良く肝に銘じていないのではないか、と云う事です。ある時は感情的に人権を叫び、パニックになると「感染者は閉じ込めてしまえ」と叫ぶ、そのような状況は冷静な感染症対策を困難にする状況と思います。

12.     感染者の隔離については、大変面白い事例があります。医学部を出た人なら殆どの者が知っているチフスのマリ−(Typhoid Mary)です。詳細な分析はJudith Walzer Leavittがその著書のTyphoid Mary (Beacon Press)で述べているのでそちらをお読みになる事を勧めますが、概要は次のようなものです。

13.     Mary Mallonと云うのがその女性の名前で1869年にアイルランドで生まれ1885年に米国に移民して来ました。丁度映画のGang of New Yorkの時代です。彼女は事件の起こった1906年Long Islandに住む銀行家の料理人をしておりました。その夏その銀行家11人の内6人腸チフスに罹りました。家は借家でありまして、大家は直ちにGeorge Soperと云う技師を雇い原因追求を依頼した訳です。系統的な調査の結果、原因として食品水その他が除外されました。唯一のヒントは腸チフスが銀行家一家で流行り始めたのは、料理人がMary Mallonに代わってからだと云う事でした。そこで、彼女の前歴を調べてみると過去8軒の家で料理人をやり7軒でチフスが出たと云うことを突き止めた訳です。結局、彼は、警察の力を借りて彼女を強制入院させ、便にチフス菌を見つけます。則ち、彼女は健康保菌者であった訳です。彼女は、一旦、New YorkのNorth Brother Island にあったRiverside Hospitalの一角の小屋に隔離されますが、彼女の訴えが聞き入れられ、3年後に以後料理人にはならないと云う条件で開放されますが、再び病院で感染源となり、再隔離され、1938年そこで亡くなる迄「ニューヨーク市の特別ゲスト」として一生を送ることになります。私が生まれたのはこの1938年です。

14.     感染症を理解する上で重要な事があります。Typhoid Maryのケースでよく分るように、感染したからと云って皆発病する訳ではありません。感染と発病は同じではありません。SARSで非常に頭を悩ませたのは、健康人、或いは、大した症状も無い人からSARSウイルスが検出されたらどうしようか、と云う事でした。このようなケースは未だ日本では出ておりませんが、ウイルスの検出キットなどが出回りますと、思い掛けない処から報告される可能性があります。本当に健康保菌者の場合、検査キットの精度が必ずしも十分でない為に似たウイルスを見つけてしまう場合、等があります。後者の場合ですと、強制隔離すれば診断した検査会社や医師が訴えられるかも知れません。前者の場合はどうでしょうか。SARSの病原体はそれ迄日本に無かった筈ですから、「そんな人間が町中を歩き回るのは極めて危険だ、閉じ込めてしまえ」と云う意見が通るかも知れません。

15.     Mary Mallonの事件の舞台に戻ります。Mary Mallonが料理するとその廻りに沢山のチフス患者が出たのですが、それでは、Maryのような保菌者は他にいなかったのでしょうか。1922にNew Jersey在住の保菌者Tony Labellaと言う人は、なんと、死者2人を含む87人のチフス感染、更に、死者3人を含む35人の患者を出した事件を起しております。1919年にはNew Yorkには25,000のチフス保菌者が居たと当時推定されていて、この年、市は2人の保菌者を入院隔離し、3人は入院させたが姿をくらまし、62人は指導に良く従い生活したとしています。このような中でどうして、Mary Mallonだけが死ぬ迄隔離されたのでしょうか。

16.     こう見て来ますと、Mary Mallonの保菌者としての危険性からだけ物事を見るのとは別の面が見えて来ます。それは、保菌者の間の公平性の問題です。中国では接触者も隔離していたようですが、どの接触者も公平に扱うのは非常に難しい。接触者の範囲の問題が出て来るからです。保菌者や接触者の隔離の問題は今回のSARSでは出ませんでしたが、今後、何時かはこの問題が出て来るでしょう。

17.     保菌者の問題は、病原体の法的規制が出来るかと云う問題とも関係して来ます。2007年の感染症法が病原体管理を対象に致しましたので、この問題はより現実的なものとなったと思います。例えば、ペスト菌を誤って別の病原体と診断し、それを所持したり輸送した場合はどうなるのでしょうか。病原体は診断されてその病原体として認識されます。このような誤診に基づく法的問題を避けるには、病原体診断をしない、或いは、初めから試料を滅菌して病原体分離不可能としてしまうのが一番簡単です。この様な法の副作用をどう避けるか、実に法の運用に掛かっていると思います。感染源として一番危険なのは菌を出している感染者です。病原菌に規制をかけた場合、パニック時には、メデイアは、病原菌保有者は病原菌を不法に保有しているから罰せよという意見さえ出かねないと思います。チフスのマリーの話は実に今も我々に突きつけられている問題と思います。

18.     感染者の隔離の問題は、最終的には社会が、各場面場面でどう対応するかで決まると思います。感染者隔離を容認する期限付き法律も一つのやり方、隔離により患者が被った被害を社会として弁償してやるのも一つのやり方、その他、色々な手法があろうかと思います。隔離について考えなければならないのは、その後の影響の事です。中国ではSARSの後「肺炎がゼロになった」そうです。肺炎と云う事になれば本人の隔離は無論、家族友人まで迷惑が罹る、かも知れない。医者は中々そのような診断はし難くなり、肺炎の文字を避けた診断にするかも知れません。

<注>感染症から外れますが、人権の問題はプライバシーの問題とも関わります。現在、遺伝子データバンクもやや似た問題を抱えています。遺伝子情報を医薬品開発や医療の現場で使えるようにするには、数多くの個々人の遺伝子と健康に関わるデータを収集し解析し、疾患に関わるデータベースを作ることが必要です。その過程で、プライバシーの問題が出ます。例えば、将来、或る遺伝子が中年期に発症する重症な疾患に関係する事が分かったとします。処が、当然、このような遺伝子を持っている人の遺伝情報があるからこそ、この遺伝子が疾病に関与すると分かる訳です。そうすると、そのような遺伝子をもつデータベースへの協力者は、もしも生命保険にその情報を知られてしまうと、不利な扱いを受けるでしょう。データベースのプライバシーは絶対に確保しなければなりません。しかし、一方、データの正確さの確保には、何処かでその個人に遡れなくてはなりません(そうでないと、2007年の年金騒動のように、データ入力の間違いをチェック出来ません)。データの正確さの確保とプライバシー(或いは人権)とは、基本的に相反する側面があります。今後、日本の社会が、個人と社会に関わるこのような問題にどう対処していくのか興味ある点であると思います。

感染流行と情報

19.     記憶されている方も多いと思いますが、中国は、香港等の流行を目の前にし、3月17日に先の広東省の流行は納まりつつあると発表しますが、結局3月26日に広東省で累積患者792人と発表するに至ります。これについて、Economistは、中国でのE-mailやinternetなどの電子媒体の普及が流行情報の押さえ込みを不可能にさせたと解析しておりました。広東省の警察が調べたところでは、4月の末には216万件のSARSの噂が携帯電話を飛び交ったそうです。現在、北京では82%の人が携帯電話を持ち、55%の家庭がcomputerを持ち、internetについては1999年の200万から2002年には4500万となったそうです。このような中で、対応への政府批判も飛び交う訳で、何もないでは済まされない時代になったと言えるでしょう。情報の民主化が急速に進んでいると云うことです。

20.     SARSのような場合に限らず、電子媒体の普及は今後行政に色々なかたちで影響を与えて行くと思います。シアトルのWTOが活動家により潰されたのは、internetを通じて世界中の活動家を組織出来たと評価されておりますし、国内のSARS対策の中でも種々の影響が出たように思います。例えば、従来書類ベースで通知されていたのが電子媒体になって、「正式な通知」と受け取り側が認識したか、と云う問題、不正確な情報も含め種々の情報が担当部局の色々な所に一度に飛び込み部局の中で知っている人知らない人も出て来て、最終的には情報提供が悪いと云う苦情、等です。誤解に基づく情報或いはアドバルーン情報を示して、国、専門家などの意見を求めることもあります。

今後の問題

21.     最後に、感染症としてどんな問題があるのか、個人的感想になるかも知れませんが、話してみたいと思います。ここ10年位、毎年2—3回中国の色んな場所に行っております。この間、大きな変化がありました。特に、ここ2—3年の経済的発展は目覚ましいものがあります。北京のような大都市に限らず地方都市もそうである。しかし、車で30分も行くと前と全く変わらない。診療所に行って調査しても、医療状況も相変わらず悪いままである。前よりも悪くなったかどうかは分からないが、良くなっている風情ではない。地方分権化、特に経済的な分権化で、貧しい所はいよいよ貧しくなっている、ようである。同じ省の中でも、豊かな地区と貧乏な地区がある。豊かな地区に職を求めて人々が流れて行く。

昨年末エチオピアに参りましたが、干ばつと飢餓で土地を離れ都市部に人々が流れ、道ばたにぼろきれのように転がっている。しかし、その真ん前には日本でもないような豪華なホテルがある。

22.     経済発展と貧富の格差、それに伴う流動人口の増加、は感染症にとって世界的な問題です。日本でも、不法滞在、医療保障から脱落した人口の増加、貧困、結核エイズなどの感染症の増加、更には一般医療施設への影響が見られます。例えば、ホームレスの妊婦が送られて来て出産し、後で、100人近くが暴露され、30人位に予防投薬をしなければならなかった、と云うような事もあります。

23.     性格が可成り違いますが、感染症に関係して、次に問題と思われるのは、食品の問題です。我が国の食料の輸入への依存率はカロリー換算で、60%と云われておりますから、食品衛生も、6割の食品については、外国に依存している、という理屈になる(この事自体、我が国の食料保障に問題があると云う事になります)。輸入食品に関わる病原体汚染、抗生物質残留、農薬残留は今後益々大きな問題になると思います。近年の消費者の安全性への過大な関心と重なりあって大きな問題です。

24.     生鮮魚介類、生鮮野菜は、中国、タイ、インドネシア、フィリピンなど途上国から入って来ていますが、輸入品の病原体、残留物汚染などは、その国の衛生状況、それに影響する社会状況、経済状況とも関係します。そこで、先進国の消費者は、経済的に弱い立場にある途上国の生産者に対して、心行く迄、用心の為に過度な安全性要求をして良いのだろうか、と云う疑問が出て参ります。例えば、肉、魚、野菜、などの箇々に、トレーサビリテイなどを途上国に要求して良いのだろうか。トレーサビリテイの導入は莫大な資本投入が必要になりますので、貿易の問題として今後難しい議論が出て来るように思います。箇々の食品の直接安全性には関わらないが、消費者が心配で知りたい表示、例えば生産地、生産者表示、を輸入食品についてどの位要求出来るのか?「農園から消費者への一貫した安全保障」が、極端に走りますと、日本の大企業が途上国の生け簀や農地を直接管理しなければ満足しないような事になるかも知れない。それは、いわば植民地でしょう。我が国の人々は、単に自分の心配を膨れあがらせるのではなく、世界の人々のことも考えてやるべきと思います。

XI 質問に答える

XI 質問に答える

1.       線毛、繊毛、鞭毛等はどう違うのでしょうか?

         線毛と鞭毛の違いから話しましょう。

線毛は基本的には、細菌が他の細胞と相互作用する為のものです。英語でpilus (複数はpili)と云い、大腸菌のオス菌からメス菌に性プラスミドDNAを移行させるのに使われる性線毛、或いは、淋菌が尿道粘膜に接着するのに使う線毛等です。

鞭毛(flagella)は菌が運動する為のものです。基底部分にフック(Hook)があり、これが鞭毛のらせん方向と一致して回転しますと、プロペラとなって菌は鞭毛と反対側に向かい運動します。

線毛は、ピリン(pilin)蛋白が線毛の基底部にどんどん重合し、下から押し上げるようにして伸びて行きます。一方、鞭毛はフラジェリン(flagellin)と云う蛋白の重合体ですが、中空です。鞭毛が伸びる時には、この管の中をフラジェリン蛋白が基底部から先端に向かって輸送され先端で重合が起こります。つまり、鞭毛には蛋白を基底部から先端に送りだす機能がある訳です。線毛は、鞭毛とは違い、中が詰まっていて蛋白等を輸送する事は出来ません。オス菌がメス菌にDNAを移行させる場合、線毛は相手の菌を引き寄せるのに使われています。

赤痢菌等は腸管細胞侵入し増殖しますが、これは菌が細胞にある蛋白を注入し細胞が菌を取り込むような運動をさせる事により可能となります。この蛋白を注入する時に使われるのがtype III分泌系で、鞭毛と構造的に殆ど同じ構造をしています。又、植物の遺伝子組換えでは、根粒バクテリア(Agrobacterium)を使いますが、植物細胞に(蛋白と一緒に)プラスミドDNAを移行させるのは、根粒バクテリアのtype IV分泌系と云われるもので、やはり鞭毛に構造的に良く似ています。

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一方、真核細胞である原虫にも運動器官として鞭毛(flagella)があります。これは細菌の鞭毛とは構造的に全く別物で、マイクロチュブール(microtubule)が細胞膜の突起の中に突き出ている構造をしています。隣接するマイクロチュビュールに「頭と足」で付いたキネシン(kinesin)分子が「足」を平行移動し突っ張る事により鞭毛全体がバネのように折れ曲がる事で運動が起こります。鞭毛の基底部には細胞分裂の時に使われる中心体に似た基底体(basal body)があります。繊毛(英語でcilia)は、鞭毛と同じ構造の短い毛が原虫細胞の周りに生えているものです。

線虫の精子の運動は変わっていて、アクチンが進行方向で会合し、反対側で脱会合する事で細胞全体として動くかたちをとります。

2.       私は、若い頃に結核をしました。老人養護ホームに入る時に結核があると面倒だと聞いています。老人で結核が再発するのはなぜでしょうか。

まず結核菌に感染した時の一般的経過を説明しましょう。結核菌感染では呼吸器感染が最も普通に見られます。これは、結核菌が増殖に酸素を必要とする好気性菌だからです。結核菌は比較的乾燥に強く環境で比較的安定ですので、これも空気を介した呼吸器感染をする理由です。

患者が咳をして空気中に出た結核菌を吸い込みますと、肺の胞胚でマクロファージに貪食されます。マクロファージは菌を取り込んでこれを殺す作用のある細胞ですが、結核菌は巧みにこれを逃れ、逆にマクロファージの中で増殖します。感染マクロファージは細胞同士が融合し巨細胞になり、その周りにはT細胞、B細胞マクロファージ等が取り囲み菌の増殖を押さえようとします。この反応が進みますと、結節状になり中央部分は細胞が死んでカゼイン様の変性をお越します。これをGhon complexと云います。これが感染後30日位で起こる変化で、この時ツベルクリンが陽転します。

91%の人では、繊維化し石灰沈着した病変が残りますが発病に至りません。残りが発病しますが、3%位が全身性結核、6%位が臨床的肺結核で、結核菌が好気性である為空気のよく通る肺尖部に病変が出る事が多いと云われています。この病変部の病巣から菌が全身に広がる事があり、奔馬性結核(galloping consumption)となります。ここの数字は社会背景等で変わりえる訳ですが、かなりの人は感染しても発病には至りません。過去の感染に気付かず、レントゲン検査で石灰化した病変が見つかるのはよく経験する所です。

しかし、繊維化し、石灰沈着し結節になりますと、菌を押さえ込むと同時に、抗結核薬も生体の免疫機構も届き難くなります。丁度虎を鉄の箱にいれたのは良いが外からは手が付けられない、と云った状況です。結核菌はカゼイン変性した結節の中で増殖はしませんが、生き残っています。又、そのような増殖しない菌には薬が効きません。

面白い仕事があって、開放性の結節と閉鎖性の結節のある一人の患者を抗結核薬で治療し、それぞれから菌を培養しますと、菌がよく増殖する開放結節の人では普通の3−8週で菌のコロニーが出現したのに対して、閉鎖結節から菌の培養を試みたところコロニーが出現するのに3−10ヶ月かかったと云う事です。つまり、結節の中の菌は直ぐには増殖しない(培養し難い)状態になっていた訳です。抗結核薬への耐性を調べると、開放結節からのは耐性を獲得していたのに閉鎖結節からの菌は感受性のままであった、と云う事です。この事は、結節の中の菌を殺す事は殆ど不可能で、一度結核に感染すると人は一生その菌を背負い込む事になる訳です。結節は、しかし、安定な石灰の固まりではなく、免疫系が常に働いてその状態を保っている訳です。従って、老人になり、免疫力が落ちたりしますと、眠っていた菌はむくむくと増殖し始め、結核の再発となります。

我が国も、高齢化社会を迎え、結核の問題は更に重要になるでしょう。結核は施設内感染を起こしやすく、一度感染が起これば施設の責任、保障の問題となり、施設への入所拒否の問題も出る訳です。

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3.       バイオフィルム(Biofilm)

結核結節内の菌に似た状態は他の菌でも見られます。一つの例がバイオフィルムです。レジオネラが給水管の中に厚い層を作り、温泉を汚染し感染者が出る、緑膿菌が留置カテーテル内部にべっとりとして生える、等が良い例です。複数種の菌が重なり合ってバイオフィルムを作るのは稀ではありません。菌はバイオフィルムと云う一つの共同体を作る訳です。

水棲細菌は栄養が豊富になりますと、物の表面に接着し、小さい集落を作り始めます。集落を作った菌は含水量の多い多糖体を分泌し、その量は集落の80-90%を占めるようになる。こうなると、抗生物質が効かなくなり、原虫等による食菌、宿主体内であればマクロファージ等の貪食を受けなくなる。バイオフィルムの一部の菌は離れて鞭毛を使って泳ぎ出し、次のバイオフィルムを作ったりします

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鞭毛を使って泳いでいる菌は、栄養を感知し、鞭毛でその表面に接着すると、増殖し線毛でお互いに固まり合い、小集落を作る。小集落は分泌部物の層に覆われ、菌が更に厚く増殖すると、菌自身の濃度を感知(quarum sensing)し、完成したバイオフィルムが出来て行く。バイオフィルムは、栄養を取り込んだり、老廃物を捨てるチャンネルも備えるようになる。

4.       真核細胞は、全て呼吸の為のミトコンドリアを持っていると云う事ですが、ミトコンドリアの無い細胞は無いのですか。植物は葉緑体を持っていると本には書いてありますが、ミトコンドリアも持っているのでしょうか。ミトコンドリアも葉緑体も細菌が進化の過程で真核細胞に共生したものだと云う話ですが、植物は2種類の細菌と共生していることになりますか。

面白い質問です。ミトコンドリアを形態学的に検出出来ない核を持った生物があります。ジアルジア(Giardia)と云う原虫です。ミトコンドリアがないので、嫌気的な代謝経路によりATPを産生しています。この生物は、共生が始まる前の原始的な真核細胞と考えられていました。しかし、そう単純ではなくて、一度何か菌と共生していた生物から退化したのだと云うことも完全には否定されていません(K. Henze & W. Martin, Nature, 426, 127-128, 2003)。

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ミトコンドリアや葉緑体が真核細胞は、何れも、自分自身のDNAを持っていて、その中にある蛋白合成に関わるリボソームも真核細胞よりも真性細菌と構造が似ています。ミトコンドリアはproteobacteria(グラム陰性菌)、葉緑体(chloroplast)はcyanobacteria(光合成菌)由来といわれています。

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植物は、呼吸の為のミトコンドリアと光合成の為の葉緑体を持っていますので、二つの菌との内共生(endosymbiosis、細胞の内部に共生したと云う意味)により進化したと云うことになります。しかし、長い進化の過程で、遺伝子が核の染色体と共生体の染色体の間で行き来し、例えば、植物Arabidopsisの第2染色体には、cyanobacteriaの遺伝子に似た遺伝子がある等です。面白いケースとしてヒドラ(Hydra viridis)やElysiaと云う軟体動物は、光合成をする緑藻を食べ、体の中で生かしておいて、緑藻の光合成生成産物を利用すると云うのがあります。

5.       ウイルスの増殖機構でウイルスを分類していましたが、RNAウイルスであれば、感染したら直ぐ蛋白合成が出来るプラス鎖RNAウイルスが有利だと思います。どうして、一見非効率的なマイナス鎖のRNAウイルスが進化の過程で生き残ることになったのでしょう。

確かに、ポリオウイルスのようなプラス鎖のウイルスは細胞に侵入すれば、細胞のリボソームや蛋白合成酵素を利用し、直ぐその遺伝子を発現出来ますから、効率が良く見えます。

しかし、プラス鎖のウイルスは、その遺伝子の複製にはマイナス鎖のRNAを鋳型にしなければなりませんので、何れはマイナス鎖のRNAを合成する訳です。一方、マイナス鎖のRNAウイルスの場合には、ウイルス粒子から持ち込んだRNAポリメラーゼにより先ずプラス鎖のRNAを合成されますが、このRNAは、蛋白を合成するmRNAとウイルス粒子に入るマイナスRNAを合成する鋳型の両方として機能する訳です。

何れの場合にも、プラス鎖RNA、マイナス鎖RNA、ウイルスにコードされた複製酵素とウイルス粒子蛋白が最終的に出来る点では変わりありません。従って、プラス鎖RNAウイルスの方が効率良いと云う事にはなりません。

しかし、次いでですからそれぞれのウイルスの遺伝子発現、複製の利点欠点を見ておくのも面白いと思います。感染直後の遺伝子発現については既に質問で擧げられた事ですが、次のような違いがあるかと思います。

(1)  ウイルスは複数の蛋白を作る必要があります。一本鎖のポリオウイルスの場合には一度大きな蛋白を一つ作ってこれをウイルスのコードする蛋白合成酵素で切断し、必要な蛋白にプロセスする事をします。しかし、このやり方では、ウイルス粒子蛋白のように大量に必要な蛋白とRNA合成酵素のように少量で良いものと何時も同じモル数出来てしまいます。少量しか必要でないものは捨てられる事になり不経済です。一方、狂犬病ウイルスのようなマイナス鎖のRNAウイルスでは、マイナス鎖RNAから複数のRNAが必要量に応じ転写され(沢山のmRNAが必要な遺伝子はプラス鎖RNAのより転写開始部に近い方にある)、蛋白が出来ると云う状況があります。つまり無駄が少ない。

(2)  プラス鎖RNAウイルスでも、感染後作ったRNA合成酵素により、全長のマイナス鎖RNAを合成し、そのマイナス鎖RNAを鋳型にして、必要に応じた量の、それぞれの蛋白をコードするmRNAを合成すると云うウイルスがいます。まるで、マイナス鎖RNAウイルスの遺伝子発現機構をなぞったようなウイルスです。SARSAの原因となったSARSコロナウイルスがその例です。これを見ても、必ずしもプラス鎖RNAウイルスが複製に関し有利だとは云えないのではないでしょうか。

(3)  プラス鎖RNAウイルスでは、マイナスRNAがウイルス粒子RNA転写の鋳型で、プラスRNAがウイルス蛋白の鋳型です。一方、マイナス鎖RNAウイルスでは。プラス鎖RNAがウイルス粒子RNAとウイルス蛋白両方の鋳型となります。一種類のRNAがウイルス粒子RNAとウイルス蛋白の鋳型となると云う意味ではマイナス鎖ウイルスの方が効率よくやっていると見る事も可能かも知れません。

<註>プラス鎖RNAウイルスとマイナス鎖RNAウイルスの複製の比較

プラス鎖RNAウイルスの場合

(1)  ウイルス粒子RNAが細胞内でmRNAとして働きこれを鋳型にRNA合成酵素の合成が起こる。

(2)  出来たRNA合成酵素がウイルスRNAを鋳型にマイナス鎖RNAを合成し、これを鋳型にmRNAが合成される。

(3)  大量のウイルス蛋白が合成される。同時に、マイナス鎖RNAを鋳型に大量のウイルスRNAが複製され、それらが会合しウイルス粒子となる。

マイナスRNAウイルスの場合

(1)  ウイルス粒子内のRNAポリメラーゼがウイルス粒子中のマイナス鎖RNAを鋳型とし、mRNAとして機能できるプラス鎖RNAを合成する。

(2)  こうして出来たプラス鎖RNAを鋳型とし、RNAポリメラーゼを含む蛋白合成が起こる。出来たRNAポリメラーゼによりプラス鎖RNAを鋳型としたウイルス粒子に入るマイナス鎖RNAが多量に合成される。

(3)  同時にウイルスカプシド蛋白も多量に合成され、RNAポリメラーゼを取り込みつつ、カプシド蛋白とマイナス鎖RNAが会合しウイルス粒子となる。

質問に答える(続)

1        病原菌の定義は何か?感染した時に発病するしないを決めるのは何か?

1)  定義としては、他の生物(宿主)に病気を起こす微生物の事で、一般にはヒトに病気を起こす菌の事を指します。しかし、発病の有無は、微生物本来の病原性に関わる遺伝的性質と宿主側の防御機構のバランスで決まりますので、或る人には全く病気を起こさなくとも別の人(例えば抗がん治療で免疫機能が完全に低下している場合、老人等)には重篤な病気を起こす場合があります(日和見感染と云う)。

2)  微生物実験或は工業生産の場合、日和見感染を起こす菌をどう扱うかが問題になります。そもそも、微生物を扱う作業に免疫力が低下した人が携わる事自体不適切ですので、正常な生体防衛力を持つ人にのみ作業を限る事とし、その上で病原微生物の安全性を評価すべきでしょう。しかし、全く人への感染の記録が無い菌と、日和見感染の記録があるものと同等に扱うのは、必ずしも対策上効率的とは云えませんので、前者はよりリスクの低いものとして仕分けするのが適切です。

3)  もう一つ、注意して置くべき事は、同じ種でも、病原性のある菌株と無い工業利用の歴史の長い菌株があります。同じ種名なので病原性の無い菌株を病原性株と同じ様に取り扱えば、工業生産も不必要な封じ込め下で行う事となり、ひいては社会として非常に不経済な事をやる事になります。そこで、種ではなく、株レベルで安全性を評価する事が、経済産業省などの組み替え確認申請では行われています。

2        人獣共通感染症対策について

1)  平成15年の感染症法改正で人獣共通感染症が感染症法の対象になりました。改正の考え方については、ウイルス学会のホームページ微生物学講義に小生の解説が出ていますので見てください。それ迄厚生労働省、農水省何れの対象でも無かったペット動物が、感染症法の対象になっているのが改正点の一つです。二つの省に跨ぐ問題ですので、ともすると二重規制や何れも扱わないという事態になる可能性があります。政府レベルでも地方自治体でも同様な問題がありえますので、この事を意識して置くべきす。この問題については、米国も含め国際的に協調した政策が必要です。

3        植物の拡散防止対策について、その手法は?

1)閉鎖系がこの講義では対象となっていますので、非閉鎖系での対策はそちらの講義を参照して下さい。閉鎖系では、基本的には微生物の封じ込めと考え方に差はありません。特別に注意すべき点は花粉や種の飛散、衣服への付着、下水、等を介しての実験区画外への漏出、で詳しくは、文部科学省の省令、告示、或は、文科省を含め農水等関係省庁のホームページを見てください。

4        遺伝子の水平移動の頻度、要因について。好ましい水平移動、好ましくない水平移動は?

1)  ウイルス学会のホームページにある小生の微生物学講義の中の「動き回る遺伝子」の章を見て下さい。遺伝子の水平移動は進化の歴史の中で頻繁に起こり、この為、生物の進化を解析するのに難しい状況が生じます。例えば、細菌には核がありませんが、その核移行シグナルを持った蛋白が見つかっており、真核細胞から原核細胞に遺伝子移行が起こったのではないか、と云われています。

2)  水平移動にはトランスフォーメーション、ファージを介する形質導入やファージ変換、等ありますが、菌はいつもDNAの移行を可能にする訳ではありません。こういう現象が起こる為に必要な、例えばレセプターの発現等、生理的条件が必要です。又、遺伝子を受け取った菌の生存の可能性が十分でないと、水平伝達の頻度は見かけ上減ります。逆に、例えば、抗生物質耐性遺伝子ですと、抗生物質を使えば使う程、そのような遺伝子を持った菌は有利に増殖します。抗生物質を使う病院で耐性菌が問題になるのはこのような理由です。

3)  遺伝子の水平伝達は、特に組み替え生物について、一般に生物多様性を損なうものとしてマイナスに捉えられていますが、必ずしもマイナス面だけではないと思います。例えば、トルエン等有害物質の汚染した土壌にはこれらを分解しエネルギー産生に利用する菌がいますが、外から別の菌を導入するとそのような遺伝子が入り、この菌も有害物質分解を始めると云う事が知られています。

4)  組み替え植物から除草剤耐性が野生植物に拡散すると云う事が云われていますが、植物の生殖がどのように起こるのか良く考える必要があります。このような植物では、人間同様、第一代子孫では、父親と母親の半々になります。植物には遺伝子が3万位はありますから、耐性遺伝子の子孫で果たす役割は大雑把に云えば、6万分の1です。従って、耐性遺伝子以外の遺伝子が子孫の存続により大きく影響する事は想像出来るでしょう。実際、栽培アブラナと野生種を交配すると栽培種と殆ど同じ形態になるようです。栽培種は必ずしも野生生息には適していませんので、むしろ消えてしまう可能性があります。耐性遺伝子だけが、恰も、インフルエンザの感染が広がる様に理解するのは正しくありません。

5        組み替え生物の規制に於ける国と地方自治体の差をどう考えるか。

1)  地方自治体には自治体として、種々の条例を出す権利がありますので、地方自治体の判断の違法性を論ずるのは不適切と思います。ただし、その条例の適切性については国民の判断により批判を受ける事は当然あって良い事と思います。

2)  地方自治体議会は、住民選挙により決まりますので、住民利益が科学的判断に優先するのは当然の事です。そのように理解するのが良いと思います。

6        企業で組み替え実験を開始するに当たっての注意事項。

1)  関係省庁がホームページを開いていますので、先ず、そこから情報を得る事が必要です。又、担当課は質問には答えますので、疑問がある場合には、率直に質問する事が必要です。カルタヘナ担保法の下での組み替え実験は、生物多様性に関わる当議定書が定義する生物を対象にしている事に十分留意して下さい。指針の時代には人への危険性を主な評価対象にして来たのと大きく異なります。閉鎖系にこの考えをどう適用するかですが、基本的には閉鎖系内で組み替え生物に接触するのは実験者である人ですから、人への安全性を考慮する事が必要です。裏返して考えると、組み替え生物が外に漏出すれば、いかなる組み替え生物であっても、非合法な非閉鎖系組み替え生物利用となりますので、厳しい規制対象になります。

2)  科を超える細胞融合技術は対象になります。DNA組み替え技術以外で作成した種を超えた遺伝子組み換え、ナチュラルオカレンスに該当する組み替えは対象になりません。例えば、接合で赤痢菌の遺伝子を大腸菌に移行させるのは対象になりません。病原性大腸菌と大腸菌K12株の間の組み替えも対象になりません。組み替えの対象にならない人への安全性の問題にどう対応するかは大きな問題ですが、病原性微生物取り扱いの枠組みで本来は考えるべき事と思います。

7        組み替え実験に於ける宿主の安全評価について。

1)  基本的には、カルタヘナ担保法の下にある組み替えDNA実験に関する、省令、施行令、告示に従って行う、この一言に尽きます。但し、例えば、文科省は研究が対象ですし、経産省は工業製品が対象になります。前者では、種レベルで宿主の安全性レベルが判断されますが、経産省ですと、株レベルで判断しています。経産省は、過去の使用経験を考慮し、既に確認された宿主ベクター系や挿入遺伝子のリストを公開し、それを参考に申請者がある程度安全性を評価する事を可能にしています。

2)  大臣が確認すべき実験が幾つかありますが、施行令、告示等を参照して下さい。省により少しずつ考え方が違いますので、注意が必要です。

3)  微生物の安全性に関係し、患者から1件分離されただけで、病気との関係が明確でないものについては、基本的には新たに病原性が見つかった微生物とは判断されません。しかし、工業利用予定等があれば担当省庁に判断を問い合わせておくのが安全です。専門家の検討を経てその菌のクラス分けがされると思います。又、工業利用の場合、株レベルで判断される事が多いので、同じ種の微生物が患者から分離されても、すでに利用されている菌株には何ら影響ありません。

4)  植物病原性微生物をどう扱うかは、文科省でも検討する予定です。閉鎖系で存在するのは、実験者とその区画にいる生物です。他の生物がいなければ人だけですから、閉鎖系の管理をしていれば植物への病原性は問題になりません。閉鎖系に他の植物がいる場合、組み替えで病原性が増している場合等はバイオセキュリテイの問題として考える必要があるかも知れません。

8        食品安全委員会の基準によれば、食経験、利用経験の無い菌株を用いての食品添加物製造が出来ないと理解されるが、どう考えるか。経済産業省の工業原料の審議ではこの問題はどうなっているか。ナチュラルオカレンスの判断をどうするか。

1)  引用された「遺伝子組み換え微生物を利用して製造された添加物の安全性評価基準」第4「遺伝子組み換え添加物の安全評価の原則と基本的な考え方」の第1項、第2「宿主に関する事項」の第1項は、食経験又は利用経験を安全評価の基準においているものですが、「原則として(中略)食経験のある」或は「使用経験等が明らかである」の『原則として』或は『等』をどう読むかに掛かっています。従って、申請を受け付けないと云う立場ではない、と理解されます。認可されるかどうかは別ですが。又、菌株をどこ迄厳密に考えるかは、審査する側の判断でしょう。使用経験のある株の誘導株、姉妹株等は、別株でも使用済み株の使用経験が考慮されると思います。種として使用経験が無い場合には、いわゆるconventional counterpartが無いので実質的同等性の考え方によるリスクアセスメントが出来ないと云う事にはなり得るでしょう。この場合のポイントはconventional counterpartは何か、その食経験があるか、この二つです。

2)  もう一つ、組み替え微生物を用い添加物を製造する場合、微生物そのものが食品になる時と、微生物から精製した酵素を用いる場合とで、リスクアセスメントの内容は違う筈です。前者であればconventional counterpartの食経験が問題になりますが、後者であれば最終製品への組み替え生物成分の混入の問題となり次元の異なる話と思います。

9        規制と研究の自由のバランスはどうあるべきか?組み替え生物の安全性議論、科学的根拠の意味付けを行っているのは科学者か行政か?

1)  研究も他の社会活動同様法律の規制を受けるのは当然であろうと思います。しかし、法律の中で行われる研究であっても、結果として、社会の安全性に深く関わる現象を発見する事は少なくありません。その公表を制限すべきか、と云う議論が、所謂、科学の不正利用(dual useと云いますが)に関係し、国際的に、例えば、OECDや軍縮会議等で続いています。私は、科学的真実は何れ誰かが発見するものであり、公表しない事で他の人が潜在的な危険性に気づかず事故を起こす方がより危険であろうと思います。公表する事により多くの人が危険性に気づき、社会として用心する事が大切と思います。

2)  この事は所謂透明性の確保が科学研究には大切である、と云うことです。科学研究の根本は嘘をつかない、と云う事です。同僚の研究者に対して、社会に対して嘘をつかない、データを隠さない、データを歪曲しない、このような科学者の良心が、本当の意味で安全性の確保に繋がるものだと思います。

3)  新しい技術については、まだ出来てもいない事を大げさに宣伝する、逆に、社会的宗教的心情的主義の為に社会不安を煽る、そのような事を、多くの人たち(“研究者”も含め)が、良心の咎めもなく、やっているように思います。韓国のES細胞のケースもこれに近いかも知れません。新技術のハイプ(過剰宣伝)は必ず揺れ返しがあります。新聞TVは過剰宣伝を煽り、新技術への社会不安を煽り、いわばマッチポンプを繰り返しているように思います。そのような意味で、世の中が、科学をもっと理解する必要があるのではないでしょうか。科学の本質は真実の追求と嘘をつかない事にあります。ハイプや過剰な懸念の表明は嘘なしでは出来ません。

質問に答える続々

1.       DNAからRNAへの転写ミスを修正するために、どのような方法を取っているのでしょうか。

読み取りのエラー率はDNA複製が10のマイナス8からマイナス9乗、DNAからRNAへの転写が10のマイナス4乗、tRNAへ間違ったアミノ酸をchargeするのが10のマイナス3からマイナス4乗、間違ったアミノアシルtRNAをリボソームレベルでmRNAにマッチさせるのが10のマイナス3からマイナス5乗と云う事です。多くの場合はそれ以上間違った転写或いは翻訳に進まないことで解決されますが、蛋白まで出来てしまいますと多くはaggregateになります。分裂している細胞では希釈されてしまいますが、神経細胞では分裂がありませんのでこのようなミスにより神経疾患になる事が知られています。蛋白のaggregationが病気に繋がるのは神経組織に多いのは神経細胞が分裂しない事と関係があるかもしれません。

2.       進化という言葉で、細菌の進化もヒトの進化も説明されたが、年代的なへだたりが全然違うように思うのですが。(細菌の出現したのは、ヒトの出現のはるか前であるので)

難しい質問です。先ず、DNAの複製機構が進化の過程で変わらないとしますと、ランダムに起こる遺伝子の塩基置換等の変化は進化の過程を通じて変わらないと考えられます。しかし、そのような変化は、遺伝子発現や生物の形態的な変化をもたらします。そうしますと、同じような確率で塩基の変化が起こったとしても、次に起こる遺伝子変化の結果は、既に起こった形態等の変化と生物学的に相容れるもので無くてはなりません。つまり、一つの変化は次の生物として許容できる変化を規定する事になります。そのように考えると、生物が始めて地上に現れた時と、その後、生物が進化し多様性を示した後では、表現系として許容出来る変化は、同じではないでしょう。進化した生物では、進化の方向がある方向に規定され、その中で変化はより加速されるのではないか、と思います。現存する脊椎動物の形態学的多様性は、形態学的多様性と云う一つの進化の道に迷い込んだ為と考えても良いのではないでしょうか。細菌はその点で、形態学的多様性への進化を歩まなかったと云えると思います。尤も、細菌は小さいので気付きませんが、形態的に生理的に驚く程の多様性を示す事は覚えていてよいでしょう。

3.       核があるのとないのでは、何が有利で、何が不利なのでしょうか?

核の中で読み取られたRNAは細胞質に輸送されないと蛋白をコード出来ません。核から細胞質の間にある核膜がゲート役を果たしRNAの品質管理の働きをします。遺伝子にはintronを含むものがあり、RNAからintronが切り出(splice)されたものだけが細胞質に出されます。原核細胞では核膜でDNAが細胞質から仕切られていないのでDNAが複製しつつ転写が起こり同時に翻訳が起こります。その点遺伝子の流れが連続的で増殖の早い細菌には適しています。細胞周期も違います。真核細胞はDNA複製後核分裂してからやっと細胞分裂開始が可能ですが、原核細胞では細胞分裂が終わらなくても次のDNA合成が起こりえます。細菌のDNA合成は細胞の体積がある一定値に達すると始まり(DNA合成を開始した数で体積を割ると一定値;DNA合成開始点の数はdnaA蛋白量に比例)、隔壁合成は、大腸菌では、DNA合成開始後60分、DNA合成速度は一定で40分で完成と云う経過をとります。

4.       同じ病原菌にさらされても、病気になる人となら無い人が出るのはなぜ?

年齢、栄養状態や免疫(獲得、自然)、細胞表面抗原型HLA、感染量など種々の要因が発症に影響します。

5.       細菌の働きで、病気になるが、そのプロセスを教えていただいたが、どういう作用(反応)で、微生物が発癌に関係するのか。

パピローマウイルスやHCVによる発がんが知られています。一つは、がんを引き起こす遺伝子がウイルスの遺伝子として存在する場合、それから、炎症、血管新生、細胞傷害と再生が細胞の発がんを抑制している遺伝子の発現を、例えばDNAのメチル化などを通し、抑制してしまう場合、が考えられています。

6.       狂牛病の発生機序について:プリオンタンパクはBSEの原因ではなく結果ではないかという話を聞きました。その方はブルーバックスで「レセプター仮説」を提唱されていましたが、どのていどの信憑性があるのか判断に苦しみます(ブルーバックス「プリオン説は本当か?」)、「プリオン説」と「レセプター仮説」以外の学説とそれらの信頼性についてのものさしがあれば知りたいと思います。

正確な処は、未だ分かっていないと言うのが正しいのではないでしょうか。但し、BSEによる病変は、脳細胞の中に一定の蛋白の凝集が出来る点でアミロイドーシスやパーキンソン病等と似た点があります。細胞は不用な蛋白をユビキチンと云う蛋白が関与する系を使って細胞から排除されますが、増殖する細胞ですと、細胞分裂でこのような蛋白は組織内では、全体としては薄められてしまいますが、脳細胞は分裂を殆どしませんので、蓄積し病変を起こすのであろうと思います。

7.       ウィルスは、人工的に生成出来るのか?出来るとした場合、それを見つけることは可能なのか?

遺伝子配列の分かっている既存のウイルス又はその変異ウイルスを、細胞を借りずに合成する事は可能です。例えば、ポリオウイルスの試験管内完全合成は報告されています。自然界に全くないウイルスをゼロから作製するような研究の分野はsynthetic biologyといいますが(成功してはいない)、このような研究は危険だと云う議論もあります。

8.       お話を伺っていると、ウィルスは、宿主にとって迷惑な存在(病気の発生)ですが、有益なウィルスは存在しないのでしょうか?

遺伝子を運ぶ性質を利用し、増殖能力を欠損させ遺伝子治療に使用。

9.       日本のこどもはワクチンをうつ種類が少ないというが、抗体などの進化的分化という観点からみると、ワクチンは多種類うった方がよいのか?

進化的分化というのは一人の個体の中で免疫遺伝子がDNAレベルで個々の免疫細胞で違った再配列し、抗体の多様性を高め、同時に感染などで抗原が生体に入ると、その抗原に対応する抗体を産生する細胞が爆発的に増える、つまり必要なもの(適者が)が選択的に増える、と云う意味でこの言葉を使っています。インフルエンザなどの抗原性変化は予測不可能なので、多種のワクチンを作製すること自体出来ないので、流行期の始めに前年の流行株と流行を始めた株などを見当し次の流行を予測してそのウイルスのワクチンを製造しています。

10.     25年前に破傷風のワクチンを2回注射しました。今でも効果はあるのでしょうか。

3-8週間間隔で3回接種を受けていれば10年間は免疫があるとされています。従って、免疫刺激の為のいわゆるブースター接種を受けないと完全な予防効果は期待出来ません。何れにせよ破傷風感染の可能性がある場合には馬で作った抗毒素投与を受けるのが安全です。但し、以前にハブ咬傷等で、馬で作成された抗毒素血清を注射されていると重篤な免疫反応が起こりえます。

11.     鳥インフルエンザについて:トリインフルエンザのこれからはどうなりますか。トリインフルエンザのワクチン作製についてはどうですか。

インフルエンザの病原性に関わる遺伝子が解明され、鳥インフルエンザの抗原性を持った病原性の低い組み替えウイルスを作り、これから不活化ワクチンを製造しています。

12.     BSEのタンパク変性に関し、いまだ解明されて無い点が多数あること、また製造物責任のために、ワクチン会社が激減したとのお話を伺い、微生物および周辺分野における、研究開発の現状と問題点等について改善すべき点も含めて教えていただければと思います。

国家的施策と国民の理解が必要です。集団免疫の必要な感染症が存在する事の認識が必要です。結核エイズのワクチン開発は容易ではありません。

13.     腸内フローラが「健全な状態」にあることが、感染症への抵抗性など健康に取って重要と聞いています。「健全な状態」とは具体的にどのような状態をいうのでしょうか。これを乱す要因とそのメカニズムを教えて下さい。

例えば、抗生物質を多量に使用しますと、腸内の菌がいなくなり、有害な菌がはびこっていわゆる菌交代現象を起こし、腸管系の感染症に至ります。又、人や動物に必要なビタミンのあるものは腸管細菌が合成し人や動物に供給しています。

14.     リスクの問題を社会の中で考えていくには、ゼロリスクがあるなどの誤解があるとコミュニケーションがうまくいきません。微生物の関連で、一般の人が誤解ないし擬似科学によって間違っているような典型例があれば教えてください。(物質の問題では、天然は安全、人工は危険などがあります)

ワクチン副作用の問題についても考えて見て下さい。

3.       微生物の「進化」のお話。先生の資料にも一部触れられているが、たとえば「嫌気性」。酸素が嫌いな生物が地球上にいるなんて? 先日温泉に行き、硫黄成分の中でも元気な菌がいると知り、また驚きました…。

地球の初めには酸素が殆どなかった事を思い起こせば、最初に地上に現れた細菌は酸素を必要としなかった筈です。酸素(活性酸素)は毒性があり、寧ろ、進化の過程で活性酸素を無毒化する機構が出来たと考えるべきでしょう。そのような働きをする酵素として活性酸素superoxideを酸素と過酸化水素にするsuperoxide dismutase 、その過酸化水素を水と酸素にするCatalase などがあります、注:呼吸とは:Respiration is a process by which electrons are passed from an electron donor to terminal electron acceptor. The cascade of electron transfer creates proton gradient. Terminal electron acceptorが酸素なら好気性呼吸と云う。

4.       微生物と地球環境の関係は

Carbon-cycle; methane発生、大気に出るメタンガスの40%は植物由来(missing mechanism、夜放出される)。水田が15%という推定あり。大気中CO2増加、温暖化。

5.       食品発酵や環境改善などで話題となっているEM(菌)について、どのようなものか具体的にお話しいただければ幸いです。

汚染場所から土を取ってきて、汚染物質だけしか栄養源にならない条件を作ると汚染物質を利用し生きる菌が取れますので、多くはこのような手法が取られています。EM菌の詳